戦前から戦後、1990年代までアメリカの「フラッグ・キャリア」として世界を股に駆けて飛び回ったパンナム。
 その先見性と国際センスを武器に一時は、世界の空を席巻していた。
 戦後太平洋の空を真っ先に飛んだのもパンナム。55年には日米旅行客の大衆化を見越していくつかの手を打った。
 その一つが、太平洋路線にハワイ日系女性をスチュワーデスとして起用したこと。二カ国語に堪能な容姿端麗なハワイ娘26人がその第1号となった。
 ついこの間まで差別と偏見に曝されてきた日系のお嬢さんたち。彼女たちにとって、「天下のパンナム」のスチュワーデスになるなんて、青天の霹靂(へきれき)だった。
 その経緯と彼女たちの目に映った秘話、日米戦後史のひとコマを題材にした本が今、日系関係者の間で評判だ。
 著者は、文化人類学的見地から日米関係を研究してきたハワイ大学(マノア校)のクリスティン・ヤノ教授。
 本のタイトルは『Airborne Dream: “Nisei” Stewardesses and PamAmerican World Airways』
 白人や日本人客は、日系スチュワーデスをどうみたか。
 彼らは、彼女たちの「Politeness」(礼儀正しさ)と「Subservience」(謙虚さ)を絶賛した。称賛の手紙が殺到したらしい。
 パンナムといえば、大相撲千秋楽とは切っても切れない記憶が日本人にはある。
 優勝力士の表彰式の土俵に羽織袴姿で現れ、「ヒョー、ショー、ジョオー(表彰状)」と読み上げる白人中年男性。パンナム広報のディビッド・ジョーンズさんだ。その独特の口調に国技館は爆笑に包まれた。
 そのパンナムも91年倒産。あれから11年の歳月が流れた。
 戦後、日本が高度成長を遂げる過程で、パンナムが日本に果たした役割、与えたインパクト。社会的、文化的にあるのではないのか。
 当時の日本のメディアや映画、テレビの中からそれを見つけ出そう、とヤノ教授は今、日本を訪れている。【高濱 賛】

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