いわゆる「朝鮮人従軍慰安婦問題」で、石原東京都知事や橋下大阪市長、安倍元首相などが、ほとんど一斉にといった具合に「慰安婦の強制連行(徴用)などに旧日本軍が直接関わったと言い張るのなら、韓国側はその証拠を示せ」と声を高めている。
 どこかが変だ。この人たちの言い分は、たとえば、いじめの被害者に「被害を受けたという証拠を出せ。出せないのならいじめはなかったということだ」と、いじめた本人たちや学校・教育委員会、警察などが言っているのと同様に聞こえないだろうか?
 いじめの大半では、それを証言するのは、いじめられた当人の言葉(教師・学校への訴え、日記、遺書、他の友人への告白など)だけに限られているようだ。いじめた方が、口裏を合わせて嫌疑を否定し、たとえばメモなどの証拠物を(終戦の日の前後に日本政府や軍が膨大な量の書類をそうしたように)焼却してしまえば、いじめられた側が事実を証明するのはほとんど不可能であるに違いない。
 つまり、精神的に大きな苦痛を受けさせられた当人たちの言葉がすべて無視されるとなると、いじめの大半はこの世の中に存在しないことになりかねない、ということだ。そんな事情をいいことにして、いじめた方やその件を調査する側がいじめられた側に「いじめられたという証拠を出せ」と迫るのは本末転倒、大きな筋違いではないのか。
 「従軍慰安婦問題」の本質は、実はこの制度を旧日本軍が少なくとも容認し、便利に利用したことにあるはずだ。「従軍慰安婦」制度は、それがどう運営されたにしろ、その制度が有益だと判断した大日本帝国とその軍の強大な権力を後ろ盾にして初めて成り立ったものなのだから。
 いじめがあるのを知りながら、いじめをやめさせるどころか、むしろいじめグループを自らけしかけるようなことをした教師がこれまでに何人もいた。そんな教師の「わたしは直接にいじめていない」という言い逃れが通用していいのか? 直接に手を下していなくても、こんな教師は当然のことながら、最低限でも「ただ見ていた責任」を何らかの形で取らせられるべきではないのか? 石原都知事たちの「証拠を示せ」という主張は「けしかけ教師」の開き直りを思わせる。【江口 敦】

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