日系のスーパーマーケットに松茸が並ぶ。松茸売りの車も姿を現した。いつもなら買って秋の味覚を楽しむのだが、今年は違う。実は初めて松茸を採ったのだ。
小雨の中、シアトルから南に走ること約2時間。レニア山のふもとの道路脇に車を停めて、山に分け入る。ダグラスファーの高く繁った南向き斜面を這うようにして進むと、目の前にきのこがいくつも飛び込んできた。その色や格好から松茸かと思えば、違うという。これも違う、あれも違う。笠の中央がくぼんでいるのは、一見松茸のようだが無味無臭。間違いやすいが、松茸ではないのだという。
枝先から落ちる雨のしずくを感じながらぐるりを見回すと、黒い大豆を撒いたような足元の塊は鹿の糞。これが、あちらにも、こちらにも。鹿の領域に足を踏み入れたことを実感した。
松茸を探してなお行くと、数メートル先に小さな白いものが見える。同行の『松茸名人』に「あれは松茸」と教えられ、近寄ると、なるほど松茸だ。そうか、林の中ではこういう風に見えるのか。
以後は、円く白いものに目を凝らすのだが、広葉樹からの落ち葉が白く遠くに光っているのを見ては、喜んで足を早めて何度がっかりしたことか。
収穫の無いまま1時間近くも山中を歩いた頃、「ここは毎年松茸のたくさん出る場所だから、しっかりと見て」という地点へ。足元を見ながら進むと、木の根元近く、濡れて黒ずんだ地面に、クオーター硬貨ほどの白いものが3つ並んでいるのが見えた。もしやと思い松茸名人を呼ぶと、「松茸です。つぼみですね」。バンザーイ!
周りに黒く積もった杉の葉をそっと取り除くと、ずんぐりとした松茸が現れた。生まれて初めて自分で見つけた松茸だ。と言っても、ひとりでは決して見つけられなかったのだが。毎年買い求める松茸同様に、笠には杉の針葉が張り付き、根元には乾いた灰色の土。そうか、この土に松茸は生えるのかと、しみじみと眺めたことだ。
郊外では、無数の鮭が、生まれ故郷目指して必死に川を遡上中。街路樹の紅葉も色を深め、シアトルは今、秋の真っ只中にある。【楠瀬明子】