前に好きでない日本語、自分は使いたくない言葉を書いたことがある。例えば何々させて頂く、勇気や元気を「与える」、ご苦労さま、こだわり、生きざま等。その時に敢えて書かなかった言葉が一つあった。それは癒しだ。
この言葉は良い言葉だが、近年いつしか癒し癒しとやたら安易に使われる言語感覚と風潮が気に入らない。癒し癒しのオンパレード。平和な日本で癒し系なんて言葉も出てきた。何かというと癒し癒しと言う人たちには君たちはそんなに病んでいるの? と聞きたくなる。安い流行化で言葉本来の価値を下げ、深みを損ねて台無しだ。
癒しというのは元々は医療用語だったと思う。病が癒える、傷を癒す、疲れを癒す、飢えや喉の乾きを癒す、こう使う言葉だったはず。そこから心の病、悲しみ苦しみを癒す、と精神の世界でも使われるようになって、それは良い。だが精神の深い所の言葉を日常的に安っぽく使うのは気に入らない。僕の独断の感覚。
前に使うのが好きでない言葉を書いた時に癒しを入れなかったのは理由があり、それは東日本大震災が起きて、癒し程度では済まないが、それが必要な人や状況が多大に生まれた後だったから。震災前だったら入れていた。
厳しい時代を生きたわれわれの親の世代は癒しなど軽々しく言わなかった。僕は戦中の生まれで、親の世代は大正や昭和初期に生まれ貧しい時代を生き、昭和に入ると急速に台頭した軍国主義の窮屈な時代を生き、大戦を経験し、米軍の日本全土無差別爆撃により一般民間人だけでも百万人が死んだ惨禍を生き抜き、戦後は焼け跡の中で餓死者が出る極限の状況下の中を、よくも僕ら幼児を餓死させずに育て上げて生き抜いたと思う。
僕ら戦後平和時代を生きる世代と比べて激動波乱の時代をたくさんの困難と悲しみを通過して生きた。だがその時代に癒しなどという言葉を軽々しく口にしなかった。今も戦乱の地の人々は癒しなど悠長に言う余裕はない。
苦労した親世代から受け継いだ今の世の中、癒しは本当に深く大事な時に使ってほしい言葉だ。心の世界だったら、人生の隠し味として普段はしまっておくほうが良い。【半田俊夫】