ギャラリーで個展を開いた時に展示した作品
ギャラリーで個展を開いた時に展示した作品
 カリフォルニア州立大学(CSU)フラトン校の美術学部で陶芸と彫刻を教える西河原展人さん(40)。日本人が持つ「わびさび」をヨーロッパや南米などさまざまな文化から受けたインスピレーションと融合させた作品を作り続けている。今年教授に就任した西河原さんに、陶芸と彫刻との出会い、そして作品にかける情熱を語ってもらった。【取材=吉田純子】

CSUフラトン校の美術学部で陶芸と彫刻を教える西河原展人教授
CSUフラトン校の美術学部で陶芸と彫刻を教える西河原展人教授
 西河原さんは愛知県名古屋市で生まれた。父は高校の英語教師。「美術に触れたこともないような人だった」と振り返る。母は好奇心旺盛でいろいろなことに興味を持つ人だった。小さい頃から母に連れられて美術館やギャラリー、ブロードウェーのミュージカルなどに足しげく通っていたという。
 日本六古窯のひとつ「瀬戸焼」で有名な瀬戸市は隣町。よく母親と一緒に瀬戸焼の工房に見学に行った。「今振り返ると母が芸術に触れる機会をたくさん作ってくれました」
 それでも子供時代に陶芸に興味を持つことはなかった。ただ手先の器用さだけは自信があった。プラモデルやラジコンなどパーツを組み立てるのが好きで、よく友達と一緒に作った。ただ仕上がりが他の人とはまったく違った。「子供ながらに友達より自分が器用だということを認識していました」。彫刻家としてまた陶芸家として必要な手先の器用さは、プラモデルなどの組み立てを通して知らず知らずのうちに培われたようだ。

高校でカナダ留学
日本人陶芸家との出会い

大学構内の工房に無造作に置かれている作品の数々
大学構内の工房に無造作に置かれている作品の数々
 高校進学と同時にカナダに留学した。カナダに移住した親戚を頼って試しに行ってみたのがそもそもの始まり。最初は言葉と文化の壁に戸惑いながらも、次第に慣れ、結局高校生活をカナダで過ごした。しかし卒業を控えたある時、今度は日本に帰るのが怖くなった。「日本で大学に進学した方がいいのか、はたまた日本で就職はできるのか。考えれば考える程不安の方が大きくなった」。悩んだ末にカナダでの進学を決めた。
 カナダの2年制大学に入学し感じたのは、学生たちの将来に対する考え方の違い。みんな何になりたいか明確で、大きな夢を持っていた。「自分はカウンセラーに何になりたいか聞かれた時、答えられなかった」
 「とりあえず単位だけとって卒業しよう」。専攻は美術学部にした。「指先だけは器用だしアートだったら卒業できるだろうと思った」。しかしこれが、人生を左右する決断となる。
 軽い気持ちで入った美術学部だったが、日本人の教授と出会う。京都出身の陶芸家で現在ミシガン大学教授のイヌズカ・サダシ氏だ。同氏は目の病で視力が失われながらも創作活動を続ける芸術家だった。「彼は目で見える物ではなく、触って伝わるものを作品にする人。発想も教え方もまったく違う。『作ったものを目で見て評価するな』と言われ衝撃を受けました」。感銘を受けた西河原さんは同氏のアシスタントになり、常にそばについて勉強した。
 2年が過ぎようとしていたある日、イヌズカ氏に呼び出された。「そこまで頑張れるのなら4年制の大学に行って将来を考えたらどうだ」。そう告げられ推薦状を渡された。カンザスシティー・アートインスティチュートへの入学切符だった。「焼き物といえばその美大だったので進学できて嬉しかった」
 そこで焼き物の第一人者で親日家としても知られたケン・ファーガソン教授と出会う。入学当初、同教授はすでに退職しており、教べんはとっていなかった。しかし偶然にも同氏のスタジオがプライベートアシスタントを探しており、声がかかった。「一緒にいて夢を見る機会を与えてもらった。『あんたみたいな彫刻家になりたいけど、どうしたらいいんだ』と聞くこともできた。人としても尊敬できる師匠のもとで学べて幸せでした」。
 1年間の修業の後、さらに彫刻家としてのスキルを磨くためアリゾナ州立大学の大学院に進んだ。卒業後はコミュニティーカレッジで2年間パートタイムで教え、その後ネブラスカ州オマハ市の大学で教員として2年間働いた。2007年からCSUフラトン校で教えている。

日本と異文化の融合
にじみ出る「わびさび」

埴輪をモチーフにした作品も数多く制作している
埴輪をモチーフにした作品も数多く制作している
 「日本人としてのアイデンティティーをモチーフにしつつ、日々浮かんでくるアイデアをさまざまな角度から表現しています」。そうして生みだされた西河原さんの作風は作品によってさまざまだ。日本の「わびさび」のナチュラルさが好きで、日本人であるがゆえにそうした要素は自然とにじみ出てくるという。「『わびさび』は着飾るというより内面から出てくるもの。日本人だから自分の延長として自然と表れてくるのです」
 彫刻作品の中には日本の埴輪(はにわ)をモチーフにしたものや、南米ペルーや、18世紀のフランス、イタリアの彫刻からインスピレーションを受け、日本と融合させた作品もある。彫刻を作る際のゴールは「どこかでみたことあるけど、何だろう」といろんな国の人に思ってもらうこと。「自分の国の芸術なのか、それともどこか違う国か」。見ている人にそんな疑問を投げかけるような作品が多い。多くの人種が住む多国籍国家アメリカならではだ。

芸術家はマラソン走者
コツコツと地道な作業

 どうしたら趣味ではなく、職業としてキャリアにしていけるのか。多くの人が突き当たる壁だろう。「芸術家は毎日が過酷な肉体労働。物作りが好きなだけでは務まりません」。例えて言うなら短距離走者よりマラソン走者。コツコツと地道な作業をするのが得意な人に向いているという。
 「ジャックナイフのように見た目が格好いいより、錆びた包丁でも切れ味がいい、見た目は悪いけれども切れ味抜群というような芸術家になれたらいい」。日々工房に閉じこもり、地味な作業の繰り返し。それでも出来上がった作品がキレのある最高の出来ばえであればそれ以上に幸せなことはないという。
 少しの温度調節の狂いでひびが入ったり割れたりする。失敗を繰り返しながらも、めげずにアイデアを生みだし、いかに自分らしい作品を作っていけるか。それに耐えられる精神力も必要となってくるのだそうだ。

食器作りにも挑戦
米国家庭にも合うように

白磁の皿やマグカップ。米国のサイズに合わせ、どの国の人にも使ってもらえる食器作りに励んでいる
白磁の皿やマグカップ。米国のサイズに合わせ、どの国の人にも使ってもらえる食器作りに励んでいる
 現在は白磁の食器も作っている。米国で食器を制作する上で苦労したのがサイズ。好きな物を好きな時に作るのではなく、米国の家庭、ニーズに適した大きさのものを作らなければならない。米国のサイズに合わせ今はオンスに対応した食器を作っている。
 また萩焼のように、釉薬(うわぐすり)の調合によってできる亀裂(貫入)は、日本では趣があって好まれても、米国では不良品と見なされ受け入れられない。当初クレームがきたため、それからは亀裂が出来ないよう釉薬の調合を試行錯誤の末に工夫したという。日米の違いはこうしたところにもでてくる。
 教授として現在教べんをとっているが、授業では作家は一切口を開かず、見る側が作家が何を伝えたいのかを議論していくスタイルをとっているという。「アートはものを作ることも大切ですが、周りが自分の作品をどう見ているのか知ることも大事。このような考え方は社会人になってからも大切になってくると思うんです」。学生に一番教えたいのは、間違えてもいいから自力で答えを導き出すことだという。
 学生には「挑戦を惜しまず、手探りでアイデアを出し、奇抜でもいいから自分の納得のいく作品を作ってほしい」とエールを贈った。

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