
ウエストフィールド・サンタアニタ
マーケティング・ディレクター
ランコ・ミヤザキさん
映画プロデューサーから大型ショッピングモールのマーケティングディレクターへと転身し、異なる分野でキャリアを積んできたランコ・ミヤザキさん。昨年8月にウエストフィールド・サンタアニタのマーケティング・ディレクターに就任。仕事を通して当地の日系社会との関わりが増え、父から受け継いだ日本人としてのアイデンティティーを日々感じているというミヤザキさんに話を聞いた。【取材=吉田純子】
毎年日本に帰国、感性養う
モール運営にセンス反映
日本人の父、韓国人の母のもと米国で生まれた。生まれて間もなくして東京に移り住み、3年ほど過ごした。
「父親が新宿生まれでした。幼少期に東京に3年住んだだけでしたが、その後も父の故郷日本には毎年帰っています」
育ったのは米国だが、幼い時から毎年必ず日本に帰っている。それは今も同じ。日本には思い出がたくさんある。桜咲く季節に毎年帰り、桜祭りに足を運ぶ。父親が他界した今は、父親の故郷東京より日本文化をより感じられる京都に足を運ぶことが多くなった。
桜の時季に帰国するため、昔ながらの街並が残る京都では、美しい桜を眺めながら、寺や神社など随所にある名所を回り、日本の春を満喫する。同ショッピングモールにも今年、美しい桜の花が飾られた。
「日本は昔と現代が見事に調和した国。ファッションや食など惹き付けられる文化がたくさんあります」
特に好きな場所が祇園。古い町並みをそのまま残し、昔の町家の中に最新のレストランがあったりと、古典と現代が共存しているところが好きなのだという。
ミヤザキさんがディレクターを務めるサンタアニタは中国系などアジア系住民が多く住むエリア。アジア系の人々に人気のハローキティをはじめオリジナルのキャラクターグッズを取り揃えるサンリオショップや、「もちアイスクリーム」や和菓子で知られる三河屋、日本から米国に上陸したシュークリーム専門店「ビアードパパ」など、日系だけでなく、今やアジア系の人々にも親しまれる店舗が入っている。
毎年日本に帰国することで、その時々の流行を把握するだけでなく、感性も養うことができ、ショッピングモールの運営にも大きな影響を与えているようだ。
エンタメ業界から一転
結婚機にキャリアチェンジ
高校までシカゴで過ごした。大学に進学するまでクラスでアジア系の学生は常に自分ひとりだけだったという。「今では考えられないことですが、当時、シカゴではアジア系の学生が少なかった。ロサンゼルスと比べても、日本食が手に入る食料品店も少なく、日本文化に触れられる機会が多くありませんでした」と振り返る。
大学進学とともにニューヨークに移る。ニューヨーク大学に進み、映画学科で映画製作およびブロードキャスティングを学んだ。卒業後1997年にロサンゼルスに移り、映画プロデューサーとしてユニバーサル・ピクチャーズやワーナーブラザーズ、ミラマックス、NBCなどで、おもにドキュメンタリーやサイエンスフィクション作品の製作に携わった。
長くエンターテインメント業界に身を置いていたが、結婚を機にキャリアチェンジを図る。
「エンターテインメント業界は出張や撮影で各地を旅行する機会が多く、娘ができてからは続けることが困難になってしまいました。そこで今まで挑戦したことのなかった業界に、チャレンジしてみようと思ったのです」
家族とともに過ごす時間を大切にしようとの思いからの決断だった。
ショッピングモールの運営は今回が初めてではない。グレンデール市にある居住スペースも併設する大型ショッピングモール「アメリカーナ・アット・ブランド」の立ち上げにも参画し、その後3年、運営に携わった。
日系社会とのつながり
仕事通して日本文化と関わる
「JANMと今回仕事が出来たことは日系コミュニティーとの関わりを増やす機会にもなりました」と話す。ショッピングモールの室内広場中央には日米文化会館(JACCC)のアーティスティックディレクター小阪博一氏による今年の干支「羊」の大きな揮毫(きごう)も飾られた。
映画監督でもあるミヤザキさんの夫は以前、映画フェスティバルで小阪氏と仕事をしたことがあったいう。「主人は米国人ですが、日本のアーティストともよく仕事をするので、夫婦揃ってロサンゼルスの日系社会と近くなっていると感じています」
ロサンゼルスの日系コミュニティーは、父親の故郷であり自身が幼少期を過ごした「日本」を感じられる貴重な場所なのだという。「ロサンゼルスにはリトル東京だけでなくリトル大阪もある。日本人の父親に育てられ、日本人の血を受け継ぐ自分にとって、いつでも日本を感じられるというのは非常に重要なことなのです」。ミヤザキさんは毎年2世週祭にも親子で足を運んでいるという。
芸術家だった両親のもと育ち、幼少の頃から、習字や陶芸を習い、日本のアートや音楽に触れて育った。自身の母は韓国人だったが、天婦羅や寿司、カレーライスなど常に日本食を作ってくれたという。
母親となった今、娘には毎日日本食の弁当を作る。娘は米国で生まれ育ったが、好物はすべて日本食。「私たち家族にとって、食事などを通して家庭の中で日本文化を維持し受け継いでいくことが大切だと考えています」