日系社会は今、1年で最も華やかで、そして一番忙しいシーズンを謳歌している。本家日本では、とっくに過ぎ去った新年会の習わしは、ここでは大きく異なり、3月半ば頃まで続く。新年会は、メンバーの親睦と奉仕への結束固めに大切で、そして何より、めでたいことなので、出費はかさむがいいだろう。
 各種の会は、裏方さんなど大勢の人により支えられていて、その中で特に「がんばって」と、応援したくなるのが、会長さんだ。その職務は容易ではないため、なり手は少なく、各人は社会への貢献や恩返し、さらには先人から受け継いだ会を途絶えさせてはならない思いから、困難を覚悟の上で引き受けている。中には1年365日の中で、約130日も会の運営に捧げた会長もいて、まさにわが身を犠牲にして尽してくれているのだ。
 少子高齢化に悩む日本。なおいっそう深刻なのが、われわれの社会である。会員の高齢化により、役員、特に会長の後継が、なかなか見当たらず、頭を悩ましている。会の存亡にかかわるため「他にいないので、しょうがない」と20年以上続けたり、2度就いたり、さらには非常事態で、元会長の奥さんまでもが引き受けることもある。
 80歳を過ぎた大先輩に重職を任せるのは、激務に他ならず酷だ。「老骨にむちを打って…」とは、お年寄りがへりくだって言うことだが、ここでは本心にしか聞こえない。杖をついた会長が、病気を押して参加するのを見ると心が痛む。周囲の人からこっそり聞いたのだが、新年会の朝に吐血したらしい。それでも、心配を掛けまいと、まさに這ってでもと、責任を果たしたのだろう。
 同じ日本人といえども、十人十色。会を円満にまとめるのは、なかなかうまくはいかない。会長は、人間関係でもつれた退会者の引き止め、度重なる苦情への対処、揉めごとの仲裁など、本来の職務とは言い難いこともするらしい。任期を終えた感想を聞くと「やっと終わった」「長かった。たった1年が、10年に感じた」「寿命が縮まった」などと解放感に満ち溢れている感じがした。
 会長さん全員に勲章をあげたい気がする。「がんばって下さい」【永田 潤】

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