イロコイ(Iroquois)連邦の存在を初めて知った。ニューヨーク州北部、ハドソン川西側、オンタリオ湖南部の地域で、1570年頃にイロコイ語を話す5部族(モホーク、オナイダ、オノンダーガ、カユーガ、セナカ)がイロコイ連邦国家を結成した。
 長年抗争していた部族同士が同盟を結び、野蛮な人食いの習慣を断ち、合議制の憲法を制定し、平和で安定した社会作りを目指した。外敵からの侵略に対抗する目的も兼ねていたようである。その後1722年にタスカローラが加わり6部族になった。
 17世紀当初ヨーロッパでビーバーハットが大流行し、イロコイ地域は好収益が得られるビーバー毛皮の貿易で栄えた。銃火器と取引するオランダとイロコイが手を組み、フランス&反イロコイのインディアンと領土争いで対立した。いわゆるビーバー戦争(1640〜1701年)である。
 オランダの植民地はイギリスに征服され、やがてアメリカ独立戦争が勃発。イロコイは中立を守れず、多くがイギリス側に付き戦ったが破れた。オナイダとタスカローラはアメリカ独立軍側に付いた。
 スタンウィックス砦条約(1768年と1784年の二つ)により、土地を割譲し国境線が決められイロコイ連邦は終焉を迎えた。
 それ以後、アメリカの保留地となったが、独立自治権は保つ。1923年に初めてイロコイ独自のパスポートを発行し、9・11のテロ前までは、カナダも含めあらゆる国にも問題なく行き来できたらしいが、安全保障対応可能なパスポートでないため、現在では、カナダ、アメリカ合衆国は正式には認めていないようだ。最新化を進めているが、統治権問題が絡みやや複雑化している。
 イロコイの合議制度や長老たちの知恵、教訓や思想が、13州の連邦制形式やアメリカ合衆国建国の憲法草案のヒントになったともいわれる(注・諸説あり、否定する学者もいる)。
 多くのインディアン社会がそうであるように、母系を重んじる。「イロコイ」は彼らの言葉で「ホーデノショーニ」と呼び「長い家」の意味だ。一緒に暮らす大家族を仕切る家長は女性であり、権限を握る。子供を世話し、重要な農業作物であるトウモロコシの食料配給も平等に行う。家族を大切にし、自然を尊重し、民主主義を重んじる。
 彼らから学ぶべきことはまだたくさんある。【長土居政史】

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