2007年、石原都知事の発案で始まった東京マラソンは年々盛んになり、今年2月28日は3万7千人が参加した。都庁を出発して皇居前、品川、銀座、浅草雷門、築地、豊洲と回り、ゴールは東京ビッグサイト。午前9時5分に車椅子の選手、その5分後にマラソンがスタートした。飛び出した先頭集団はアフリカ勢。この大会はリオ5輪の日本代表選考会を兼ねていて日本の選手も力が入る。42・195キロの長丁場はペース配分やお互いの駆け引きが火花を散らす。快晴で例年より高い気温は選手にとっては辛い。
 優勝はエチオピアのリレサ、7位までをアフリカ出身の選手が占めた。40キロ付近で先行する服部勇選手を抜き去り、高宮祐樹選手が日本勢トップの8位でゴールした。関係者の評は、実業団選手たちは日本代表選考を意識してお互いの駆け引きにとらわれ、消極的なレース展開となって記録は平凡だと厳しい。上位進出ができなかった日本勢で目についたのは箱根駅伝で活躍した学生選手、2〜4位を東京マラソン初挑戦の学生選手が占めた。その果敢な走りは沿道の拍手を浴び、将来の可能性が期待される。
 車椅子女子では41歳の土田和歌子選手が優勝。大会に花を添えた。コースは登り下りもある10キロメートル、車椅子に座り終始前傾姿勢で手だけで車輪を漕ぎ続けるこのレースは過酷である。
 今年は2015年の世界選手権、シカゴマラソン、ニューヨークシティマラソンなどで優勝したマクファーデン選手(米国)が参加し、土田選手とデッドヒートを演じた。残り1キロでラストスパートをかけた土田選手。マクファーデンはイチ・ニー・サン、イチ・ニー・サンと力強く車輪を回しては一呼吸の繰り返し、土田は休むことなく嵐のごとく必死に車輪を漕ぎ続ける。望遠レンズが捉える両者の競り合いは激しい息遣いまでが聞こえてくるような緊迫感が伝わる。マクファーデンを抜き去ってゴールまであと100メートル、土田のピッチが一段と上がる。高々と片手を上げてテープを切った土田は満面の笑顔。よくやった、よくやったと思わずテレビの画面に拍手を送った。【若尾龍彦】

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