思いがけず、雪の日本を訪ねた。少しだったが、雪かきもした。日陰の氷もかいた。筋肉痛になるほど雪かきをした昔が懐かしい。
 ちょうど、この時期は7年前の東日本大震災を想起させる。津波後の避難生活は3月とは思えない寒さだったと聞いた記憶がある。今年も寒かった。
 3月1日に、実家のすぐ近く、岩手県野田村に知人の兄さんを訪ねた。根こそぎ流された海岸部。今も、家はない。防波堤だけが高く建てられて、以前の風光明媚な海岸とは少し変わった。海岸にあった休み処や食堂もなくなった。
 訪ねた男性は92歳で、津波で妹を亡くし、奥さんは避難生活で体調を崩して、そのまま亡くなった。彼は、現在、元の家があった海岸から離れた場所に家を建てて、息子夫婦と暮らしていた。
 磯ラーメンが食べたいという私の願いに、連れられて行った食堂が「十府ヶ浦食堂」。もしや! と尋ねると、十府ヶ浦海岸の絶壁にあって、眺めがいい食堂が流されてしまったとがっかりしていた、その食堂を内陸部に同じ名前で復活させたことが分かった。役場の近くに仮設で食堂を開いていたのを、昨年新築オープンしたという。
 十府ヶ浦食堂があって、以前と同じ磯ラーメンが食べられたことに感激して、友人たちに話したら、今度行ってみる! と喜んでいた。なじみの場所を失って、みんな寂しい思いをしていた。
 彼の家の周りやもっと内陸部には、新築の家が建ち並んでいた。ディサービスセンターや高齢者施設も新築されていた。利用者は柔和に見えた。失ったものは大きくても、表向き復興の兆しが感じられた。11日に向けてテレビや新聞では震災特集を扱っていたが、原発の福島、宮城の気仙沼など目立った被災地の報道が多かった。もちろん、家に帰れない福島の現状はまだ厳しい。東北一帯の沿岸部はどこも同じに大変だが、みんなの頑張りが目に見えた。
 3月というのに、氷点下の日が続く北東北。梅はもちろん桜のつぼみもまだまだだった。春が待ち遠しい岩手。厳しい自然を忘れないでいようと思った。
 その後滞在した東京では、時間ぴったりだった電車に、人身事故による遅れが毎日あった。【大石克子】

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *