わが故郷は愛媛の瀬戸内海に面した城下町、沖あいには古くから村上、河野などの水軍が活躍した島々が散らばって、夕日が海面を黄金色に染め、島々のシルエットが浮び上がる様は絵のように美しい。温暖で雨が少ない瀬戸内は、漁業の他にみかんの産地としても名を知られている。
 高校同期生で島出身のG君は、退職後、自宅は首都圏、11月から3月までは暖かい島で過ごして親戚のミカン畑の収穫を手伝う理想的な生活を送っていた。そんなG君が同窓会で「もう年とって体力も衰えた。親戚もミカン作りをやめるというので来年からは島には行かない」と寂しげだ。「以前は1万人いた住民が2千人に減り、定期船の船便は減るし病院も島外へ行かねばならない。みかん畑も高齢化と後継者不足で廃業が目立つ。最近は他の島から泳いで来たイノシシが増え、農作物も荒らされるんだよ」と嘆く。原因は島が市に合併され、島の住民の声が届きにくくなったのだそうだ。
 明治維新で、新政府は近代国家作りのために次々にさまざまな改革を施した。その一つが明治21年の「市町村合併」である。合併は、明治、昭和、平成の大合併と続き、市町村数は7万1314から平成26年には1718にまで減った。合併の目的は、教育、徴税、土木、救済、戸籍などを処理する自治体の適正規模と、各地の町村規模の隔たりをなくすためだった。戦後は、各地に新制中学校の設置、消防や自治体警察の整備、災害対策、社会福祉、保健衛生関係の新しい管理事務が加わり、行政事務の能率的処理のためには規模の合理化が必要とされた。
 合併のメリット、デメリットはさまざまだが、デメリットの最たるものは周辺地域が寂れることだ。新市町村名はしっくりこない。馴染みのある歴史的な町名が変わって、わが町とは思えないという声も聞かれる。合併と共に議員数は減り、議員たちの意識は庁舎のある街へ向く。少子高齢化、人口減、過疎化、空き家問題と多くの問題を抱える日本、そのしわ寄せが各地の島嶼部の過疎化につながっている。さてこれをどう乗り切るか、政治・行政の力量が問われている。【若尾龍彦】

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