式典には、市議会で命名の動議を行った小東京を含む第14区選出のケビン・デ・リオン市議と、オチさんの親友で命名を発案し市議に働きかけたダーリン・クバさんが立ち会い、あいさつに立った。2人がオチさんの活動を絶賛するたびに大きな拍手が送られ、日系史に足跡を残したオチさんの功績を改めて認め、故人に敬意を表した。
小東京には日系偉人の名を冠した通りや広場が各所にあり、この日また一つ新たな名所の誕生に日系社会が沸いた。
小東京の「玄関口」に命名
偉大な業績を顕彰して
4日、小東京におけるローズ・オチ・スクエアの命名式で、オチさんの偉大な業績に再び光が当てられた。オチさんは、数々の「ガラスの天井」を打ち砕いて連邦政府や地方政府の要職に就いたアジア系米国人女性のロールモデルとしてたたえられた。
ロサンゼルス市警での勤務では武力行使政策の策定に功績を残したほか、より多くの女性やマイノリティーの職員を採用した。97年、クリントン政権下でアジア系女性として初めて連邦検事補を務めた。その後、ロサンゼルスに戻り、2001年から05年まで、アジア系女性で初のロサンゼルス警察委員に就任した。
命名式であいさつに立ったケビン・デ・リオン市議はオチさんの功績をたたえ、最大級の賛辞を贈った。命名が全会一致で議決されたのは1月だったが、新型コロナウイルスの影響で式典開催がすぐにできなかったことをわびた。だが、今月5月がアジア太平洋諸島系住民(API)月間にあたることから、その遅れを逆手に取り「今、この時にアジア系女性の素晴らしいパイオニアをたたえることを光栄に思う」とし、「オチさんはロサンゼルス市民と日系人の公民権擁護に尽力した」と話した。
オチさんの功績の中で特筆すべきは日系人収容者への国家賠償とマンザナ収容所跡地の国定史跡化だとし、「アメリカ人はこの二つの功績を忘れることはないだろう」と強調した。喝采を促すと、聴衆は声高に「そうだ」と応えた。「ローズの残した業績は、市、州、国の遺産となって生きている。今日、このリトルトウキョウで、偉大なパイオニアの日系女性の功績を顕彰して敬意を表し、ローズ・オチ・スクエアを命名することを正式に宣言する」と締めくくった。
オチさんは、日本人社会とも交流を図った。女優のような端麗な容姿を持ちショートヘアがよく似合ったことから「宝塚の男役もできそう」などと、ささやかれた。有識者でもあり、まさに才色兼備。日本人には日本語で話し掛け、気さくな人柄で親しまれていた。
クバさんは羅府新報の取材に対し「ローズは日系女性、アジア系女性のかがみであり、憧れの的だった。若い日系やアジア系の女性には、ぜひ彼女の遺産を受け継いで活躍してもらいたい」と願った。 【永田潤、写真も】