ビバリーヒルズのロデオ通りには、不況で売り上げは落ちているかもしれないが、ご存知の通り高級ブランド商品が並ぶ。グッチ、ディオール、シャネル、エルメス、ルイ・ヴィトン、プラダ、ブルガリ、カルティエ、アルマーニ、ヴェルサーチ…お気付きのように大抵イタリア、フランスのブランドだ。
以前から不思議に思っていたことがある。日本人はファッションやハンドバッグなど、買う側として、いわゆるブランド志向が強いと言われるが、逆に、なぜ売る側として世界に通じる日本製の『ブランド』商品がないのか?
歴史の長さ、伝統や芸術の美的感覚、奥深さ、器用さ、技術的レベル、歌舞伎からくる着物や化粧のファッションセンスや繊細さ、どれも素晴らしいし、世界と比べて決して劣らない。
その代わりにトヨタ、ソニー、東芝、キャノン、SEIKO、任天堂があるではないか! と言えば、まあそれは置いといて…。
自分の推測はこうだ。例えば、イタリアではプロサッカーチームは個人のオーナーが多いように、富豪がわんさかいる。彼らがスポンサーになって、工房を与え、デザイナー、職人、芸術家たちに好きなように作品、工芸品を作らせる。リサーチや開発費を惜しみなく使い、洗練された物を商品化する。上流社会層のみを喜ばせる限定品だったのが、やがて一般消費者にも流通するようになる。
日本は民主主義が進み、平等化、平均化が美化され、富豪が消えた。人口が多いため、国策はとにかく全国民生活保護の経済中心に進んだため、生活の見近な商品開発と生産を優先し、芸術に対しては生産価値のない贅沢で無駄な個人的欲望の物と見なされた。そのため技術開発によって大量生産化できる工業商品は世界で通じるが、いわゆる『ブランド品』は出遅れた。
知らないだけかもしれないがドイツ製のブランド物はあまり聞いたことがない。国民性なのだろうか?
ある友達は「日本人はその種のマーケティングが下手なだけでしょう。ほら、日本の外交のやり方も不得意なのかパっとしないじゃない」と一言で結論づけた。
一理ある…かも。【長土居政史】