先月、劇作家のつかこうへいさんが、肺がんで亡くなられた。享年62。
 自分が高校卒業前後の80年代初期に、つかさんの大ブームがおこった。「熱海殺人事件」の舞台劇は、エネルギッシュな役者たちによる矢継ぎ早の過激なセリフで新鮮だった。
 新宿紀伊國屋ホールで初演された人情物「蒲田行進曲」は、小説も執筆し直木賞を受賞。その後、深作欣二監督、松坂慶子主演で映画化され日本アカデミー賞作品賞にもなった。クライマックスの『階段落ち』はまさに感動的シーンだ。
 当時自分がアルバイトしていた新宿の喫茶店では、若い舞台俳優たちが数名働いていた。話す内容はつかさんのことばかり。彼のエッセイもよく読んだ。とにかくわれわれの世代で映画、演劇にかかわる者は少なからず影響を受けた。
 それから15年後、今から15年ほど前に、日本のCMの撮影で自分はプロダクション・アシスタントとしてユタとアリゾナの州境のモニュメント・バレーまでのロケに参加した。その時の監督がなんと、つかさんだった。
 昔西部劇がよく撮影された砂漠のど真ん中。インディアンの居留地で周りは何もない。孤立したホテルで毎晩ひたすら、スタッフたちに囲まれたつかさんは、一緒に飲みながらいろいろな話をしてくれた。厳しい演技指導者というより、とても気さくで、冗談言って周りをよく笑わせてくれた。
 撮影も順調に進み、1週間程だったが、中味の濃い仕事だった。LAに戻り最後の別れ際にさりげなく「ご苦労さま」と袋を渡された。中を開けると新品のズボンだ。サイズもぴったり。後ろポケットには彼のサインが書いてある。砂漠での作業でズボンがボロボロになってたのを見ていたのだろうか。一番下っ端のスタッフにまで気遣ってくれるとは。こんな経験は一度もなかったから驚いた。本当に心の温かい人だと、そして人の痛みや辛さも実はよくわかっている人なのだと感じた。
 今は自分の腰回りも太くなり、はけなくなったが、そのズボンは思い出として今でも大事にクロゼットにしまってある。冥福を祈ります。【長土居政史】

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