アナウンスを終えたバリトン歌手のポールがマイクを持って退場すると熱気に包まれた会場にピアノの音が静かに流れ、クリスティーンがソプラノでオペラ、マダム・バタフライの「ある晴れた日に」を歌い始める。
 伸びやかな歌声に導かれるように一枚の障子スクリーンの後ろから現れたのは白無垢に綿帽子の蝶々夫人、踊り手はシカゴで日本の古典舞踊スタジオを開いて34年になる藤間流の藤間秀之丞師である。
 オペラと日本舞踊の組み合わせの意外性に一瞬会場で揺れていた団扇の動きが止まり、「おォー」という声にならない声が漏れた。
 会場が熱気に包まれている理由は、パフォーマンスのすばらしさもさることながら室内温度が80度を優に超えているせいでもある。シカゴ郊外オークパークのユニティ教会の小さなチャペルで開かれたこの公演。有名なフランク・ロイド・ライトの設計で1904年に建てられたこの教会は市の重要な文化財で、冷房設備を導入することができないからである。
 本来ならば6月初旬に小さいながらも設備の整った劇場で催されるはずの公演が、理不尽な劇場主が小さなオペラ・カンパニーが集めたファンドを使い込んで倒産し、公演の2週間前にスタッフを解雇して突然劇場を閉鎖してしまった。
 企画から1年余り、この公演のためにサイド・ビジネスで生活を支えながら芸術活動を続けるアーティストたちの情熱に動かされた藤間秀之丞師がゲスト出演を快諾して準備を進めていただけに関係者たちの落胆ぶりに心が痛んだ。
 しかし出演者たちもこのまま泣き寝入りをするべきではないと、劇場主を相手に訴訟を起こすことになり、訴訟費用を捻出するために急きょユニティ教会の協力を得て小規模な公演が開催されたのだが、歴史的な建物のなかでのオペラと日本舞踊のコラボレーションは感動的だった。
 女形で踊った藤間師を最後まで女性だと信じて疑わなかった観客が多かったことも付記しておこう。
 アーティストたちの勝訴を祈りたい。【川口加代子】

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