
1月に96歳で亡くなった米国書道研究会会長の生田博子師をしのぶ会がこのほど、トーレンスの都ハイブリッドホテルで開かれ、日系諸団体の代表らが故人をしのんだ。参加者は生田師が夫の観周師と共に会を創設し、60年以上にわたり築いてきた功績を振り返るとともに、生田夫妻の遺志を継ぎ活動を継続していくことを誓い合った。
祭壇には生田会長の遺影と、絶筆となった2幅の掛け軸が飾られ、約50人の参加者全員が献花し、手を合わせた。また、茶道表千家同門会の教授だった生田会長が所属していた米国南加支部の4会員が供茶を行った。
スライド写真が上映され、生田会長の足跡を振り返った。産経書展の作品展示と高円宮妃久子さま出席の表彰式、大きな筆で揮毫した二世週祭の模範実演、歴代の総領事や日系諸団体の代表らとの記念撮影、小学校訪問での生徒への指導の様子などが紹介された他、観周師の僧侶時代の姿も映し出され、参加者はそれぞれの時代を懐かしんだ。
生田会長の葬儀は既に家族のみで営まれ、喪主を務めた長男の洋一さんがあいさつに立った。「母は18年前に亡くなった父親の後を継ぎ、書道の普及に献身した。会員の皆さんには、これからも会を継続させ、両親が築いた書道の精神を受け継いでほしい」と述べた。

来賓代表らが追辞を述べ、生田会長の多大な功績に敬意を表した。
同会理事長で顧問の竹花晴夫さんは、「先生は厳しく指導し、特に日本の書展に出展する作品は一切妥協を許さなかった。また、書道の技法のみならず、礼儀作法や人としての生き方など、多くのことを学ばせてもらった。米国で日本文化である書道の普及のために身を尽くした。観周師と博子師のレガシーを永遠に継承していく」と語った。
在ロサンゼルス総領事館の神谷直子首席領事は「南加の日系米国人社会と、異なる文化的背景を持った米国人社会で、60年以上にわたり書道と茶道を通じて、日本の伝統文化の美を伝えてきた」と称賛。昨年、着任して間もなく、同会の60周年記念展で初めて生田会長に会ったといい、「一人一人に向けられた先生の温かい笑顔としぐさが心に残っている」と話した。
産経国際書会と誠心社から届いた弔辞は、シアトル支部長の加柴律子さんが代読した。両書道団体は生田会長に哀悼の意を示すとともに、米国での書道普及への尽力と、熱心な指導をたたえた。会員に向けては、生田師の遺志を受け継ぎ、今後も産経国際書展と誠心社現代書展への出品に期待を寄せた。
2015年、会設立50周年記念で制作された、生田会長の活動を紹介するビデオが上映された。ビデオは、生田会長がすずりに墨をする様子から始まる。生田師は第2次大戦後初の日蓮宗開教師となった夫、観周師に伴いシアトルに移住。その後2人はロサンゼルスに移り、ガーデナに本法寺別院を設立。大戦の影響で減少した檀家を増やすために日本文化教室を開設し、書道を教え始めたという。映像の中で、生田会長は「書道に使う紙と筆がなく、まずそれらをそろえる必要があったので、とても大変だった。われわれ2人は朝から晩まで、本当によく働いた」と振り返った。「当時は他に文化教室がなかったため、チャンスだった。生徒は急に増え、『燎原(りょうげん)の火』のようだった」と表現し、ピーク時には千人もの生徒を抱えた。書道の上達について、「寝ていてはだめで、修練を積まなければならない。良い作品を創るには、織り物や陶器のように試行錯誤を重ねる必要がある」と力説。10年前の当時、半世紀に及んだ活動を振り返り「観周先生と2人で、日本文化を米国で紹介しようという志を持って始めた。このような50周年記念展を開くことができ、感謝の念しかない」としみじみと語る姿に、参加者は聞き入った。
閉会の辞をランディ・ヤマモト理事長が述べ、「われわれ門人は米国書道研究会を盛り立てて今後も精進を続け、観周先生と博子先生の志を引き継いでいく」と決意を語り、一層の支援と指導を求めた。


