マラソンの練習を始めるまでは、ランニング経験はなく「走るのは、大嫌いだった。学校の体育でも遅かった」という。走り始めたきっかけは、2000年のLAマラソンに初参加した米国人ランナーが40歳で完走した新聞記事を読み「感化された」。「見よう見まねで始め、長続きはしないだろう」と自身を疑いながらも、当時51歳で走り出すと「自分にもできた。走り切った後の爽快感がたまらない」と、今日まで続けている。
2000年の初マラソンで3時間48分という好タイムを出すと、波に乗り大会に出続けた。今もレースには年に12、13回、月に約1回のペースでコンスタントに参加。ベストタイムは、10年前に記録した3時間22分46秒。4カ月前に走ったベンチュラでは3時間29分台で終え、体力の衰えは感じさせない。昨年も土、日に2日連続で開かれた2大会にエントリーし、それぞれ完走。これまでの記録は、3時間台199回、4時間台12回、5時間台1回で、途中棄権は1度もないという。
5キロ、10キロ、ハーフマラソン、それぞれ100回以上出場。一番辛い距離は意外なことに「出だしからずっと、飛ばさないといけない」という5キロだという。さらに「ハーフだからといって、フルマラソンの半分の力で走るのではない」と強調し、ペース配分は走る距離で設定し、それぞれのゴールを目指す。
地元では、初マラソンのロングビーチ、ロサンゼルス、オレンジ郡、ハンティントンビーチ、サンディエゴなど、すべての大会を走った上、サンフランシスコ、ナパバレー、フェニックスへの遠征は、車を運転し泊まり込みで臨んでいる。完走のメダルや年齢別優勝のトロフィー、盾、賞状は「飾るところがないほどある」と、冗談交じりに話す。
年齢別優勝を果たすこと14回。だが、すべてを走った「6大マラソン」(東京、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、ロンドン、ベルリン)では、まだ1度も1位に輝いたことがなく「まだまだ速いのがいるので、頑張らなければいけない。メジャーで優勝してみたい」と目標を高く持つ。
3時間台の目標、199回記録
LAで「200回記念を飾りたい」
コースは、ドジャー球場を起点に、ダウンタウン、エコパーク、ハリウッド、ウエストハリウッド、ブレントウッド、サンタモニカでゴールする。「アップダウンが激しく、走るにはたいへん」と話す半面、「ロサンゼルスのコースは、景色がよくてとても賑やかでいい。土地勘があり、リトル東京やチャイニーズシアター前を通るので楽しく走れる。ゴールのサンタモニカの海岸を見るとホッとする」とスタートを心待ちにする。
沿道から受ける温かい応援を完走の糧にする。もちろん「がんばれ」という日本語の声援も待っている。本番には「日本」と書かれた鉢巻きを締め、気合いを入れてスタートラインに立つ。