その年齢にふさわしい生き方、考え方、服装、行動などを言うとき、年相応という言葉が使われる…けれど、さてその年齢の何を基準にしているかといえば、なんとなく曖昧である。
何歳という数字だろうか、それとも世代だろうか。あるいはその人の見た目で、あるいは世間一般の常識(?)で決められることなのか、「年相応」と言ってしまえばそれで片付くことは結構多い。
数年前に、日本からきた人に、「アメリカでは80歳を過ぎてもジーンズをはくんですね」と少し驚いたように言われたことがある。
ちょうど私は、太目の脚を細身のブルージーンズに押し込んでいたのだが、それで「あっ、そうなんだ、日本ではシニアはジーンズなどはかないのだ」と気付いた。動きやすい上に汚れることを気にしなくてよいので、ジーンズとTシャツは長年私のユニフォームみたいなものだった。しかし日本人の常識?から見れば、これは年相応ではなかったらしい。
どうやら年相応は国や文化の違いによっても変わってくるようだ。
先日、気の合った仲間とボタニックガーデンで催された今年最後のサマーコンサートに出かけたところ、プログラムは、70年から80年代のエルトン・ジョンやビリー・ジョエルのミュージックで、小さな湖畔に広がる芝生に、思い思いに椅子を並べ、水辺を飛び立つ鳥の群れや夕焼けを背景に、耳にやさしい音楽を堪能した。
「歌詞が聞き取れる歌っていいですよね」。後ろでささやく友人の声に思わずうなずいてしまう。この日の仲間はもちろん、周りを見回しても観客のほとんどが60代から80代後半。
この夜私たちは年相応のコンサートを十分楽しんで帰路に就いた。
皆さんから「84歳には見えない。若いね」などと言ってもらうことがあるが、これは見た目や容貌の話ではなく、私がいつも気忙しく動き回っているからで、特別に喜んだり、得意になることでもない。一日走り回った日はやはり疲れるし、その疲れ方が70代とは明らかに違う。
ふと見ると、手の甲には以前は見えなかった太い静脈が浮き出ており、年相応の私の手である。(川口加代子)
