旭日小綬章を受章するエドワード・A・ペロン氏(写真左)と旭日双光章が授与される比嘉朝儀氏(同右)
 日本政府は11月3日付で、平成30年(2018年)秋の叙勲受章者を発表した。在ロサンゼルス日本総領事館管轄区域関係者では、エドワード・A・ペロン氏に旭日小綬章を、比嘉朝儀氏には旭日双光章がそれぞれ授与される。ペロン氏は日米間の友好親善および米国における日系コミュニティーの発展に寄与し、比嘉氏は日本語普及功労と在留邦人への福祉功労がそれぞれ認められた。両受章者の対日功績を紹介する。

エドワード・A・ペロン氏(64歳)
【旭日小綬章】

 エドワード・A・ペロン氏は、1954年(昭和29年)に米国ワシントンDCで生まれた。父親は米国空軍の軍人で、同氏が生まれる以前、両親と姉は、名古屋に3年間駐留していた経験がある。同氏は、家族がその時に購入し自宅に飾った陶器などの日本の品々を見て育った。ハーバード大学からハーバード大学ロースクールに入学し卒業後、(昭和54年)に日本とつながりの深い、ロサンゼルスにあるリリック・マクホース・アンド・チャールズ法律事務所に就職した。この法律事務所は、現在のピルズベリー・ウィンスロップ・ショー・ピットマン法律事務所(ピルズベリー)で、米国の著名な法律事務所の一つに挙げられる。同氏は、同事務所で、これまでに100社以上の日本企業を担当し、日本専門弁護士として活躍、現在は、グローバル・マネジング・パートナーとして、世界各国の事務所の統括にあたっている。同時に、同氏はピルズベリーおよび非営利団体を通じ、40年近くにわたり日系コミュニティーの発展と日米友好促進に尽力した。
 同氏は、米国と日本の友好的な関係と積極的な交流を促進する南カリフォルニア日米協会において1980年(昭和55年)より、理事を38年間、法律顧問を27年間、さらに理事長を2年間務め、同協会の発展に長期にわたり貢献した。2009年(平成21年)の同協会創立100周年という歴史的節目を契機に、将来の安定した財政基盤を築く寄付基金を設立また、同協会の組織の再構築を主導するなど、同協会の安定的経営および発展の基礎を作った。
 ピルズベリーでは、日本ビジネス共同リーダーの1人として、日系団体への支援を積極的に行ってきた。同氏の取り組みの下、ピルズベリーは、南カリフォルニア日米協会、日米文化会館、南カリフォルニア日系企業協会、全米日系人博物館を含む南カリフォルニアの重要な日系団体に対し長期にわたり継続した財政援助を行っている。
 また、ロサンゼルス青年会議所、アジア系アメリカ人アドバンシング・ジャスティス・ロサンゼルスおよびロサンゼルス郡経済開発公社において理事を務めた。

比嘉朝儀氏(77歳)
【旭日双光章】

 比嘉朝儀氏は1940年(昭和15年)11月14日、沖縄県中頭郡中城村で生まれた。普天間高校卒業後、ロサンゼルスに住む叔父の支援を受け渡米し、日の出豆腐株式会社で勤務しながら勉学に励み、70年ウッドベリー大学で国際貿易の学士号を取得。その後ラッキーストア株式会社(現在のアルバートソン株式会社)に入社、2001年(平成13年)に定年退社するまで勤めた。
 同氏はこれまで長年にわたり、さまざまな日系団体で積極的に活動してきた。ロサンゼルス市内の日本語学校「羅府上町第二学園」では1975年(昭和50年)から計15年間ボランティアとして奉仕した。期間中には4年間副理事長、3年間理事長を務め、青少年育成およびロサンゼルスの日系コミュニティーにおける日本語教育、日本文化の普及に貢献した。
 北米沖縄県人会では5年にわたって会長を務め、「カタヤビラ・ウチナーグチ(語りましょう、沖縄語)教室」の開講や「高齢者クラブ」の開設、「図書室の設立」を遂行した。2005年(平成17年)には県人会功労賞、翌年には「第4回世界のウチナーンチュ(沖縄の人)大会」において米国と沖縄の懸け橋の役割を担う「新ウナチー(沖縄)民間大使」に任命され、2011年(平成23年)には「第5回世界のウチナーンチュ大会」において県系人社会の発展と、在住国および日本国との友好親善に寄与から、功労賞を授与された。
 同氏はボランティア活動として、ラジオ番組を通じた日本、沖縄文化の普及にも尽力した。24時間日本語ラジオ放送局TJSの番組「ハイサイ ウチナー(こんにちは 沖縄)」ほか当地二つの日本語ラジオ局にて、計11年にわたり番組パーソナリティーを無償で務め、日系人が日本語を維持するために大きな役割を果たしていた日本語放送の運営・維持に大きく貢献した。また、番組では沖縄の方言や文化の紹介も行い、特に若い世代への言葉や文化の伝承に尽力した。
 2011年(平成23年)には当時南カリフォルニアの42県人会が加盟していた南加県人会協議会の会長に就任。3月の東日本大震災発生時には、混乱する日系コミュニティーの旗振り役として奔走し、米側関係機関と連携する上で中心的役割を果たした。総額約18万ドルもの義援金を集めたほか、「東日本大震災被災者100日目追悼法要」をはじめとし、さまざまな復興支援イベントで被災地に励ましの言葉を贈り、復興支援に向けた当地日系コミュニティーの団結と復興支援活動に大きく貢献した。

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