政府関係者と生徒、和食関連業者が見守る中、松田さんが謝辞を述べ、親善大使就任後も、日本食に対する情熱を持続して自らを鼓舞しながら日本食の普及のために尽力することを約束した。在校生と同校を巣立った料理人に向け「おいしくて、美しくて、健康的なすしを世界に広めてほしい」と呼びかけた。和食については「すべての食材の中で、食文化と人々にとってとても重要である。これからも最善を尽くしたい」と、任務の遂行を誓った。
開校から17年、世界35カ国から1500人を超える生徒を受け入れている。「9割近くが日本人以外で、有名なシェフにもなっていて、自分の生きがいになっている」と胸を張る。その一方でチベットやモンゴルなどシーフードがなく、すしを食べたことがない生徒もおり「食文化の違いを理解させ、おいしいと思わせるまで時間がかかり難しい作業」と話した。
日本では、職人は厳しい修業に耐え、一人前になるまでに長い年月を要する。一方、松田さんの学校では2カ月で卒業するため、疑問に思う日本人もいるが「テキストとビデオを使って体験実習を重ねて、シャリを炊く、魚をおろす、握る、巻き物を巻く、包丁を砥ぐなど、基本を徹底的に教え込む」と説く。卒業して職に就き腕を磨き独立して念願の店を開けて繁盛させ成功を収めたり、フード雑誌で紹介されるトップシェフもおり、短期養成を実証していて、松田さんの「生きがい」が頷ける。
今はコメの炊き方から魚のおろし方などの仕込みを、インターネットの動画で見て学ぶことができる時代になった。だが「『すしの形』は作れるが、それが見た目がきれいで、口に入れて安全でおいしいものかは別物」と異議を唱える。「すしは、ただ魚をご飯に載せるだけではない」と教えており「魚の選択からおろす、握る、保存までの行程すべてに意味がある。それが日本の伝統の技で、それを教えている」と強調する。
船内のダイニングについて「他の国の料理は揚げたり、焼いたり、煮たりするけど、生魚を扱うのは、すしの調理場しかない。だから安全面でかなり気を配らなければならない」と力を込め、ユネスコの世界無形文化遺産入りした和食の威信にかかわる重責を担っている。
松田さんの乗船は年に2、3回で、1回につき1週間ほど。同社が保有する16隻のうち4隻の和食ダイニングを取り仕切る。すべて同じコンセプトを持ち「まだ始まったばかりなので、新しいメニューも取り入れたい」と意欲を示す。
晴れて就任した親善大使は「だし、吸い物、すし、刺身、包丁など、日本の伝統に沿った正しい育て方をしているのが認められたと思う。和の伝承と教育には意味がある」と、使命感を燃やす。【永田 潤】