歴史問題や輸出規制、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄など、日韓関係が戦後最悪レベルに陥っている現状に不安が募る中、コニー・カン記者ならば、どんな切り口で今の日韓関係に関する記事を書くだろう、と思いをめぐらしていた矢先だった。虫の知らせだったのか、悲しいニュースが届いた。
ロサンゼルス・タイムズ紙で1992年から2008年にかけて、ロサンゼルスのアジア系コミュニティーを主にカバーした韓国系ジャーナリストのパイオニア、コニー・カン元記者が先月、すい臓がんのため死去した。76歳。
タイムズ紙によると、1992年春に「ロサンゼルス暴動」が起きた際、韓国系コミュニティーを韓国語で取材し、英語で書ける記者の必要性が求められたのが採用のキッカケだった。53人もの死者を出したこの大規模暴動で、韓国系コミュニティーの声を、メインストリームのメディアを通じて広くアメリカ社会に伝えたカン記者の功績は計り知れない。
私が羅府新報の記者になりたての頃、取材先でカン記者に会う機会が幾度かあり、その都度胸が高鳴ったのを今でも覚えている。リトル東京の開発事業や体育館建設計画の記者会見でカン記者の姿を見つけた時は、どんな質問をするのか、翌日掲載される記事がどのようにまとめられるのかが楽しみで、すべてが勉強になった。日系社会の事件を知らせると、取材に来てくれたこともあった。
自伝によると、幼い時に家族と北朝鮮から逃れ、沖縄で育つ。そこで通ったインターナショナル・スクールで、英語への興味が芽生えた。英語とドイツ語の教師だった父親は、韓国で最初にキリスト教を信仰したグループの一人だった。後に家族はサンフランシスコに移住、カン記者はミズーリ大学とノースウェスタン大学でジャーナリズムを学んだ。
敬虔なクリスチャンだったカン記者は、2008年にタイムズ紙を退職した後、2017年に神学大学を卒業してミニスターになった。北朝鮮にクリスチャンスクールをつくることが夢だったという。
偉大な記者に出会えたことに感謝して、天に召されたカン記者の平安をお祈りいたします。【平野真紀】