最知さんによると、10年前の震災当日、おばの道子さんは、夫の元太郎さんや近所の人たちとお茶を飲んでいたという。激しい揺れが収まった後、道子さんたちは津波から逃れるため高台に避難して九死に一生を得たが、元太郎さんは迫りくる津波を撮影しようとして帰らぬ人となった。
震災から10年経ったが、かつての日常が元に戻ることはない。日本史上最大となった未曽有の震災は、約40メートルの津波を引き起こし、1万5899人の死者、6157人の負傷者、そして2529人の行方不明者を出すなど、甚大な被害をもたらした。最知さんは、津波のことを聞いた時、南米の地震の時のように家族が糠塚山に避難してくれることを期待していた。しかし、難を逃れることができたのは、もっと高台にある神社に避難していた人々だけだった。糠塚山は津波に飲み込まれ、そこに避難しようとしていた人たちは、今も行方不明だという。それから約1カ月後に、最知さんの親族5人が亡くなったことが確認されている。そして、最知さんの父の実家はもちろんのこと、同じ敷地にあったノリ工場や雑貨店も全壊。さらに2家族が家を失い、ほかにも家屋被害や事業に大きな損害を受けた親族がいたそうだ。
SFVJACCは、震災を風化させないためにさまざまな取り組みを行っており、これまで2度にわたる復興募金活動を行い、総額10万ドル以上の支援金を集めている。
6日のファンドレイズイベント「Remembering Japan’s Earthquake-Tsunami 10 Years Later」は千葉公明さんとナンシー・オダさんの司会で午後5時から始まる。
申し込みと問い合わせは、千葉さんまで。メール—
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募金方法は、ペイパル口座を用い、SFVJACCウェブサイト(www.paypal.com/donate?hosted_button_id=7VQWGJQCCQZSQ)のドロップダウンリストから「Japan Earthquake-Tsunami Relief」を選択。またはチェック(宛名SFVJACC、送り先12953 Branford St., Pacoima 91331)を郵送する。 【訳=砂岡泉】