著者が、ドラッグストアでコロナ・ワクチンを接種した際にもらった腕輪。「コロナ・ウイルスに一発刺してやったぜ!」と書いてある

 コロナ禍2度目の夏を迎えて、私はいつになく腹を立てている。
 「ハッピー、ハッピー、ハッピー!」
 7月20日、宇宙飛行中のアマゾン創業者、ジェフ・ベゾスは、自社、ブルーオリジンが打ち上げた宇宙船の中でこう叫んだ。その10日前に、「ああ、美しい、美しい地球を見下ろしている!」と、ヴァージン・ギャラクティックの宇宙船からやはり大はしゃぎで配信したのは、同社創業者のリチャード・ブランソンだった。

アマゾン創業者の宇宙飛行や東京五輪、コロナ禍のインフレに苦しむアフリカを報じる著者の地元紙ロサンゼルス・タイムズ

 アマゾンが、世界中で法人税逃れをしているのは有名な話だ。一方、ブランソン率いるヴァージン・グループは、昨年来、米国他で破産申請。各国で数千人単位の人員整理を行った。払うものも払わず、社員の暮らしを守ることもせず、「ハッピー!」も「美しい」もないもんだと、私は大いに首をひねる。
 「株安で報酬増えた社長も」―こちらは、夏の初めの6月27日付け日経新聞に踊った見出し。コロナ禍で業績が下降、株価が下がり、社員を解雇した米大企業数社の社長が、自分の報酬だけは増額していたという。ダウ平均構成企業トップの年収中央値は、日本円にして23億5千万円。これらの企業では、社長と従業員の平均年収に284倍もの開きがあると、記事は続ける。その上、この未曾有のパンデミックに自腹だけ肥やしていたとは。
 えらい人の強欲といえば、極めつきはIOC(国際オリンピック委員会)会長、トーマス・バッハだろう。8月6日に開かれた記者会見で、氏は、東京五輪とコロナ感染拡大には、「直接的にも間接的にも影響はない」と公言したが、五輪はスポーツの祭典、要は祭りだ。祭りと感染抑制の相性がめっぽう悪いことなど子どもにだってわかる。にもかかわらず、IOCが五輪を強行した理由は「3つ。カネ、カネ、そしてカネだ」(ニューヨーク・タイムズ紙、5月11日)。
 しかも、冬季五輪の招致レースを辞退したノルウェーの首都、オスロからの情報では、IOCが要求した接待がすさまじかった。晩さん会に、豪華な料理や酒、深夜におよぶ宿泊先のバー営業……。
 この夏、バッハが、ザ・オークラ東京の一泊300万円と目されるスイートで、バスローブを羽織り高級シャンパンを堪能している間に、東京で、日本で、世界で、コロナ感染者が急増した。世界が連帯し、五輪に費やした巨費を、コロナによる失職やインフレで食事もままならぬ人々に回すことはできなかったのかと、私はまたまた腹を立てる。
 私の腹立ちを煎じ詰めれば、「不公正感」にたどり着く。だがきっと、バッハもベゾスも胸を張ってこう反論するだろう。
 「私が豊かなのは、私の努力の賜物。彼らが貧しいのは自己責任です」
 自己責任論は、この数十年来幅を利かせてきた、競争のみを是とし富の再分配を敬遠する新自由主義お得意の言い分だ。しかし、ここに抜け落ちているのは、「私はたまたまの存在」という真理である。
 コロナ禍で、リモートでできる職業と、そうでない職業では残酷なまでの明暗を分けた。コロナを見越して仕事を選んだ者などまずいないから、仕事によって「たまたま」差が生じてしまったにすぎない。第一、そもそも私たちは誰も、自分の親や国、身長や頭脳を選んで生まれてきはしない。私たちはこの世にたまたまの生を授かり、その各人とて、疫病や災害などの偶然性に巻き込まれさまざまに変化していくのだ。

「独り占めはダサいです」
 「利他っすネ」
 今春、東京の喫茶室でひとりの青年と話していた時のこと。目の前の青年は、きっぱりとひと言こう答えた。彼は売れっ子の映像作家で、私たちはその日、拙著、「宿無し弘文ースティーブ・ジョブズの禅僧」の映像化の打ち合わせをしていた。

乙川弘文(おとがわ・こうぶん/1938〜2002年)。29歳で永平寺から布教のために渡米。欧米各地で禅や仏教を説いて歩いた。弟子のひとりにアップル創業者のスティーブ・ジョブズがいる Photo © Nicolas Schossleitner

 この伝記の主人公は故乙川弘文(おとがわこうぶん)というお坊さんで、弟子のひとりがジョブズだった。書名のごとく、弘文は宿無し同然で、人々からは慕われたがいつも赤貧だった。それは、「助けて」と求める人がいれば、「はいはい」と何の見返りも期待せずに欧米各地を訪ね歩いたからだ。
 「宿無し弘文」は、私の本にしては珍しく売れて、ある団体から低予算ながら映像化の依頼があった。それでスタッフ集めをしていたところ、彼が名乗りを上げてくれたのだった。CM1本撮れば何百万も稼ぐ彼が、なぜ、こんな低予算企画に参加する気になったのか?

 「利他っすネ」は、私がそう尋ねた直後に彼が発した答えだった。私は、時代の先端をいく青年の口から、利他という言葉が出たことに椅子から転げ落ちるほど驚いた。と同時に、とてもうれしかった。なぜなら、この本を書きながらずっと利他について考えていたからだ。
 「弘文さんの我執(がしゅう)から遠く離れた生き方が好き。独り占めってダサいです」
 私の驚きを知ってか知らずか、彼は飄々(ひょうひょう)と言い足した。

他人を自分の位置まで「底上げ」する
 「利他」を広辞苑で引くと、「自分を犠牲にして他人に利益を与えること」とある。だけど、仏教でいう利他はちょっとニュアンスが違う。

「宿無し弘文ースティーブ・ジョブズの禅僧」(柳田由紀子著/集英社インターナショナル刊)は、本年、第69回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。利他に生きた僧侶の伝記だ

 ある僧侶は、
 「我と他を差別する仕切りを取り外し、平等にすること。ちょうど、座敷のふすまを外すと大広間になる、そういう関係です。だから、たとえば、名声や感謝などの見返りを期待した寄付行為は利他ではない」
 と説く。また、別のお坊さんは、「他人の位置を、自分の位置まで『底上げ』するイメージかな」と、カジュアルに説明する。私自身は利他を、他者の苦しみをともに苦しみ、喜びをともに喜ぶ心と解釈している。

 実はこの利他、コロナ禍において重要なキーワードとして注目されている。
 日本の書店には「『利他』とは何か」「利他と料理」や、利他とも深く関連する「分配」に言及した「人新世の『資本論』」「武器としての『資本論』」といった書籍が並び、それぞれがベストセラーになっている。さらに、東京工業大学では、「未来の人類研究センター」が「利他プロジェクト」を立ち上げた。これらの著者や学者たちはみんな、「利他っすネ」の映像作家同様、次世代を担う年頃の人々だ。

利他は、コロナの時代のキーワード。書店には、利他と題された書籍や、富の公正な分配に言及した書籍が並びベストセラーに

 私は昨年、「利他プロジェクト」を推進する中島岳志・東工大教授と対談する機会に恵まれた(「ジョブズの師、乙川弘文は『利他』の現代的意義を再定義する」「WIRED」誌、2020年8月16日)。その時、「利他には惹(ひ)かれるが、自分のように自利ばかり考えている者にはとてもできそうもない」と、正直な気持ちを伝えたところ、中島教授は、
 「いえいえ、人間誰しも、車が来たら自分が轢(ひ)かれることも忘れて子どもを発作的に抱える、そういうところがあるものですよ」
 と、穏やかに応じた。
 なるほど、確かにそうだ。人には、損得や合理不合理を超えて、背中を押されるような、いてもたってもいられない心がどこかにあるものだ。こういった心は、こんな私にも、そんなあなたにも必ずある。
 以下に、利他に生きた宿無し坊主、乙川弘文が遺した言葉を2つ紹介したい。利他を考える時のヒントにきっとなるはずだ。

 この世にいることに敬意を抱くこと。
 弟子から「世の中でいちばん大事なのは?」と訊(き)かれた時に、弘文が答えた言葉。人間、生きていればつらいことはいろいろあるが、人を妬(ねた)むほどやりきれない苦しみはない。ならば、人と自分を比べないことだ。なあに、私たちはたまたまの存在なのだ。だからこそ、各人にははからずも授かった良さがある。己を肯定し、「この世にいることに敬意を抱いて」生きる。そうすれば、人生が楽になる。楽になれば、他人を自分の地平まで「底上げ」するゆとりが出てくる。

 私たちを取り巻く感覚は、私たちの肉体の一部です。月、星、太陽、風、雨、すべては、あなたの肉体の一部なのです。
 人間は、自分の力で生きていると考えがちだ。しかし、死期を決められないことからもわかるように、実際には大宇宙の中で生かされている。自力の限りを尽くす一方で、自力の限界や傲慢(ごうまん)を知ること。すると、いずれ我執が薄れ、他人や周囲が見えてくる。他人や周囲が見えれば、あなたと私がぶっ続きであることに気づくだろう。

 歴史学者のジャック・アタリによれば、「歴史上、大きな感染症は権力の変容を生じてきた」という。コロナは、問題を露呈し加速させる。不公正は、そのもっとも顕著な事象のひとつだ。私たちは、この先どこへと向かうのだろう。さらなる自己責任の荒野を彷徨(さまよ)うのか、それとも、利他的わかちあいの世界を拓くのか。コロナの時代の私たちは、大きな、おおきな岐路に立たされている。

柳田由紀子(やなぎだ・ゆきこ)
1963年、東京生まれ。作家。早稲田大学文学部卒業後、新潮社入社。98年、スタンフォード大学他でジャーナリズムを学ぶ。著書に「宿無し弘文ースティーブ・ジョブズの禅僧」(集英社インターナショナル)、「二世兵士 激戦の記録ー日系アメリカ人の第二次大戦」(新潮新書)、訳書に「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」(集英社インターナショナル)他。現在は、アメリカ人の夫とロサンゼルス郊外に暮らす。

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