避難者とバラック、丘を描いた野外の様子=1942年、カリフォルニア州サンブルーノのタンフォラン集合センター
収容所内で活動し傑作を生み出したミネ・オオクボ

 アーティストのミネ・オオクボのグラフィック回顧録「市民13660号」が刊行されてから75周年にあたる今年、全米日系人博物館は特別展「ミネ・オオクボのマスターピース 市民13660号のアート」を開催している。200枚近いイラストからなる同書は画期的な一冊であり、米国の強制収容所について元収容者の視点から書籍一冊にわたる分量で記された初めての刊行物である。

 同展では、このグラフィック回顧録の原画28点とそれに添えられたキャプションを展示する。同館は「市民13660号」の原画をはじめ、その他の

オオクボの作品をはじめとするミネ・オオクボ・コレクションの所蔵者である。二つ目の展示室では、オオクボが収容所で描いた数々のスケッチやスケッチブック、最終原稿の下書きなど、1946年出版の「市民13660号」のインスピレーションの元となったアート作品を紹介している。これらの作品や関連資料が展示されるのは今回が初めてという。

ワクチン接種を受けるために待つ人々の行列=1942年、カリフォルニア州サンブルーノのタンフォラン集合センター

 同館のコレクション・マネジャーでキュレーターのクリステン・ハヤシ博士は「第2次

世界大戦が起きる前、オオクボの未来米国人アーティストとして無限の可能性に満ちあふれているように見えた。しかし突然の強制収容を受けて、オオクボの芸術的関心は、この制約だらけの新たな生活を豊かなエネルギーで記録し、多くの作品を生み出すことに変わった」と話す。「収容所ではカメラが禁止されていたが、その代わりにオオクボは何百枚ものスケッチやイラストを描き、忘れられがちな歴史の1ページをそこに記録した」

ユタ州のトパーズ収容所で行われた元日の餅つき=1942年から44年

 42年に「大統領令9066号」が発令されると、西海岸には立ち入り禁止区域が設けられ、その後、オオクボ一家を含む日本人と日系米国人はそこから強制的に立ち退かされた。オオクボはその後に続いた激動の時代を余すところなく記録した。オオクボは「市民13660号」だった。この番号は政府がオオクボの家族に割り当てたものであり、オオクボの作品は不安定な状況に置かれた米国市民権を描き出している。オオクボが収容所で描いたスケッチには、収容所で暮らす家族が感じていた不公平さや不安に満ちあふれている。「13660」という家族番号が記された歩道に積み上げられたオオクボのスーツケースや、ユタ州のトパーズ収容所で厳しい冬の風にさらされる家族の姿なども記録されている。

ニューヨーク港に到着した人々=1939年

 ミネ・オオクボは日本から移住した両親の下、12年カリフォルニア州リバーサイドで生まれた。オオクボは芸術活動に専念するため、結婚はしない、オオクボの言葉で言えば「他人の靴下は洗わない」と心に決めていた。カリフォルニア大学バークレー校で美術の学士号と修士号を取得した後、38年に権威ある芸術留学奨学金を得て、パリでキュビズムのアーティスト、フェルナン・レジェに師事した。サンフランシスコでは、公共事業促進局の連邦芸術プロジェクトの一環で壁画を描き、著名なメキシコ人アーティストのディエゴ・リベラと共に仕事をしたこともある。

日本人一世の碁の対局=1942年、カリフォルニア州サンブルーノのタンフォラン集合センター

 46年に出版された「市民13660号」には198枚のイラストが掲載されており、米国の僻地に置かれた強制収容所での生活がありのままに描かれている。これらの作品の中で、オオクボは単なる観察者ではなく、ほとんどの絵の中にオオクボ自身が登場している。それぞれの絵にはキャプションが添えられており、同書はグラフィック回顧録の草分けの一例でもある。また現在ではプロテスト・アートとしても注目されている。
 展覧会は、来年2月20日まで。同館の開館時間は、火曜〜日曜の午前11時から午後5時まで。最終入館は4時。観覧料は、通常の入館料に含まれる。入館料は大人16ドル、シニアと学生、17歳以下は7ドル、5歳以下と同館会員は無料。現在は、毎週木曜は終日、入館料が無料。詳細は、ウェブサイト—
 www.janm.org/ja/exhibits/mine-okubo-masterpiece

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