暑い日本から4カ月振りに戻ると、シアトルは秋の真っただ中にあった。裏庭の伸び放題の雑草の片付けと時差ボケが終わる頃に、1本のメールが東京から届いた。差出人は澤野洋子さん。かつて、シアトルの日系新聞社で一緒に働いた仲だ。
 「本日、伊藤明子(めいこ)夫人に誘われて、JICA横浜(ジャイカ=国際協力機構)に行ってきました。伊藤一男氏の資料の整理が出来たのでお披露目されました」とある。
 伊藤一男さん(1924年~2001年)とシアトルの縁は深い。
 伊藤さんは戦後まもなく東京の新聞社に入社。そこで出会った人の仲介で、シアトルの「北米報知」紙に寄稿を開始したのが1947年のこと。以来、勤務先は日本農業新聞、読売新聞と変わったものの、半世紀にわたり同紙に寄稿を続け、東京支局長も務めた。
 「北米百年桜」(1969年)という、シアトルを中心とした米国西北部日系移民の生活記録の執筆を開始したのは、そういう縁があったからだ。「生の声・体験談を集めた移民史を」との伊藤さんの思いに応え、コミュニティーは「日系百年桜刊行後援会(後に実行委員会)」を組織して資金集め・資料集めに総力を挙げ、千ページを超す本の刊行を可能にした。続いて72年に「続・北米百年桜」が、82年にはシアトル日系人会創立三十周年記念誌「アメリカ春秋八十年」が出版され、それらはシアトルやポートランドの当時の日系コミュニティーを知ろうとする者にとって必読の書となっている。
 伊藤さんは記者生活の傍ら、日本情報を海外日系紙に向け発信し、日本国内に向けては日系移民史研究者としての執筆を続けた。伺ったことのある東京・神楽坂の自宅には、資料が山となって積み上げられていた。JICAに寄贈された資料は、主に北米日本人移住者に関する図書、新聞、写真、書簡など、多岐にわたる。
 「収容所で発行した新聞や、百年桜に投稿した方々の封筒の数がすごかったです」。当時のコミュニティーリーダーの日記や、知り合いの名もある百年桜完成祝賀会プログラムもと、澤野さんのメールは続く。
 当日は、JICA横浜・海外移住資料館の中根卓館長から明子夫人に感謝状が贈られた。  伊藤一男さんが亡くなって、この秋で20年になる。【楠瀬明子】

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