「なんくるないさぁ」で主演した仲田幸子さんの受賞を祝福し、記念撮影に納まるスタッフら

 劇場とオンラインのハイブリッド形式で行われた第16回ジャパン・フィルム・フェスティバル・ロサンゼルス(JFFLA、Japan Film Festival Los Angeles)の授賞式が10日、ハリウッドで盛大に開催された。日本のみならず、シアトルやニューヨーク、モントリオールなど各地から公式上映作品に選ばれた映画関係者が劇場の大画面に映し出され、長短編合わせて約30作品が紹介された。会場には、女優の祐真キキさんをはじめハリウッドの映画関係者や映画ファンが参加した。
 最優秀女優賞は、「なんくるないさぁ」で主演した仲田幸子さんに贈られた。会場には仲田さんの孫の仲田まさえさんやプロデューサーらが訪米しており、ちょうどこの日は仲田さんの89歳の誕生日ということもあり、受賞式の壇上でまさえさんから沖縄の幸子さんに「最優秀女優賞を取ったよ!」と電話をすると、意外にも最初の言葉は「あ、そう」で、会場が笑いに包まれた。
 ベストコメディー賞とのダブル受賞に幸子さんは、「こんな賞をもらえるっていうことも皆さんのおかげ、沖縄県民のおかげだから、本当に心から感謝している」と喜んだ。

仲田幸子さんの代理でベストコメディ賞を受け取るまさえさん(中央)

仲田幸子さんの代理でベストコメディ賞を受け取るまさえさん(中央)

 最優秀監督賞には、「大綱引の恋」の佐々部清監督の名が告げられた。佐々部監督はこの映画を撮り終えてすぐに急逝して、最後の作品になったことが伝えられ、会場からは感嘆のため息と、喜びや感謝への拍手が起こった。監督の代わりにオンラインで授賞式に参加した西田聖志郎プロデューサーは、「僕らはこの作品を、佐々部監督の遺作ではなく最新作と呼んでいる。この作品がアメリカで上映されることはとてもありがたいことだし、こうして監督賞をいただいて、天国と呼ぶより向こうの新しい現場で非常に喜んでいると思う」と、涙ながらに話した。
 昨年亡くなった大林宣彦監督がこの映画祭を気に入り、幾度もロサンゼルスに足を運んで交流を結んだことから、映画祭には昨年から「大林宣彦賞」が設けられ、平和への願いや戦争反対への思いを後世に伝える映画に対して贈られている。今年は、長崎の原爆で取り残された被爆マリアの像をモチーフにした「祈りー幻に長崎を想う刻(とき)ー」に、大林宣彦賞が贈られた。当日、日本からオンラインで参加した松村克弥監督は受賞に対して、「僕は大林監督の大学の後輩で、先日も彼の故郷の尾道に行ってきたばかりで、大変幸福。この後、主演の高島礼子さんに会うので、この受賞を報告したいと思う。今日は最高の日になった。ありがとうございました」と語った。
 また、「痛くない死に方」の原作者で、「けったいな町医者」のドキュメンタリーで主演をした長尾和弘医師は、地元尼崎の病院から手術着姿でオンラインで登場し、ベスト・ヒューマニティー賞の受賞への喜びを伝えた。その他、主演男優賞には、ロサンゼルスで撮影された「String」で主演をした池田直之さん、長編映画賞も同様にロサンゼルスで撮影された「Hunk and Jolene」が選ばれ、関係者が壇上で受賞の喜びをかみしめた。
 JFFLAは、2003年に始まったチャノマ映画祭が前身で、「日本人に広く愛されている家庭劇で、国や国籍を超えて家族について語り合おう」という趣旨を受け継ぐ。一般的な日本文化の理解を浸透させることを目的とした先駆的な映画祭への関心は高く、当地のみならず各所からの参加が増え規模を拡大してきた。観客に映画祭をいっそう楽しんでもらうため、日本映画界の新しい才能の発掘とともに、現代日本文化を通じた日米間の交流を目的として、2008年にロサンゼルス日本映画祭と改名。大物監督や俳優を招き、13年に故大林宣彦監督、14年には俳優の仲代達矢さん、18年には女優の桃井かおりさんが式典に参加するなど現在ではLAを代表する日本映画祭に発展している。

映画「STRING」で主演を務めた池田直之さん(中央)を囲み、主演男優賞を祝って花束を贈ったファンとスタッフ

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  1. 予告編『私の二十代、My Oldies & Goodies 60s in California』 、

    海外のバイクライダーやその作家に「自費によるバイク世界一周した日本人最初のライダー」とおだてられ、1960年代の経験を[Horizons Unlimited Motorcycle・・・] に英語で連載した。すると信じられないほどの反響があり、国内ライダーからも日本語版の出版はしないのかと問合せを受けた。物書が生業でもない私は出版する気などサラサラないので、読んでくださる人がいるのなら、FaceBookでも書き涯があるので投稿することにした。 私は1960年代$100を懐に米国留学し、作家ジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」の舞台になったカリフォルニアの葡萄畑やロサンゼルスの墓地で働いたこと、ガーディナのヘルパーしながら大学へ通ったこと、帰国して航空会社に就活するため出来るだけ多くの世界の名所旧跡を観て帰国した方が有利と考え、旅費と利便性を考慮しバイクで世界を観て回った経験を出版しようと少しずつ書いていた。そんな1988年のある日、作家石川好氏が「ストロベリーロード」で大宅壮一ノンフィクション賞の受賞を知った。読んでみると時代も1960年代、場所も私の住んでいたロサンゼルス近郊ポモナと同じであった。違うのは「イチゴ畑と葡萄畑」だけだった。彼の受賞作品に比べ、私が書いたところで所詮二番煎じ、それに彼の文章のうまさに、売れないと出版をあきらめた。そして帰国から年金生活までの30数年間は人間社会の冒険の日々で、資金と暇さえあれば誰でもできるバイク世界一周のことなど思い出すこともなかった。5,6年前だっただろうか、以前書いていた原稿にバイク世界一周のことを加筆し、500部自費出版したら直ぐ無くなった。今、手元にはもう数冊しか残っていない。時代と共に米国留学生活も旅の形も変化し、簡単にできるようになった。これは1960年代の私の若き日の米国留学生活とバイク世界一周の生き様の記録である。70年、80年、90年、そして21世紀になり米国留学経験者が私の時代と比較しながら、気楽に読んでもらえれば幸いである。私と同世代である元南海の村上雅則選手に刺激を受け野茂英雄選手、若い大谷翔平選手とアメリカで活躍しているのだから、私の経験がもう古いと思わないで参考になれば嬉しい。

    1963年,白黒テレビの日米中継実験の第一報は、米国大統領ケネディの暗殺ニュースだった。「兼高かおる世界の旅」のテレビ番組が人気の時代だった。翌1964年海外渡航自由化、ヴェトナム戦争、キング牧師の公民権運動、毛沢東の文化大革命、Beatles、ツイギーのミニスカート、ロバート・ケネディ葬儀を見るなどアメリカの激動したOldies60sである。その時代を知らない人には歴史であり、私には昨日の出来事のようで、人生で最もエキサイティングな歴史の時代をアメリカで過ごしたことは宝であり誇りである。内容は1960年代の日本人若者の独立独歩の生き様で、夢と希望を叶えるため、自分の人生、どう生きるか模索していた二十代の事実(ノンフィクション)であり、商品のフィクション小説よりもおもろいかも知れませんゾ。自己啓発のヒントになれば幸である。命の味覚期限切れも近い、風前の灯火の私は82才。夢のない奴には長く、ある者には短い、それが人生である。今は簡単に外国語を翻訳できるアプリもある。旅に出よう、それも若いうちに。あなたの人生を豊かにするためにも。

    地球の年齢45億年、人間の寿命たかが100年、一日も無駄にしてはアキマヘンね。

    乞うご期待。