20年1月、仲良くしていた中学校の同級生が神奈川県伊勢原市に引っ越した。その友達はコロナが始まる前年にがんが見つかり、住み親しんだ東京を離れ、余命を伊勢原で養生することに決めたという。それまで一度も耳にしたこともなかった「伊勢原」は僕の記憶に深く刻まれた。
 21年11月、11年目を迎えた日本インディペンデント短編映画祭で、あるドキュメンタリー作品を上映した。初めて見た時は気にも留めなかったが、ある時、同作品が撮影されたのが伊勢原市にある大山阿夫利神社であることを知る。
 その後も、別の友達のガールフレンドが伊勢原に住んでいることが分かったり、さらに別の友達が伊勢原の近くに引っ越したりしたこともあり、僕はいつか大山阿夫利神社を参拝しようと思い始める。20年3月に他界した同級生には会うことはできないが、彼女が人生の最後を迎えた街を訪ねることは、コロナでお別れすら言えなかった友人への僕なりの供養でもあった。
 22年11月30日、僕はついに大山を登った。神社は山頂近くにあり、上りはケーブルカーを利用できるものの、階段や坂道もかなりある。半分修行のような道のりだった。雲なのか霧なのか白に包まれ浮かび上がる神社は、神々が宿っているかのような木々に囲まれ独特の雰囲気を醸し出す。帰りは時間があったので、ケーブルカーを使わず所要時間35分という男坂を、何も考えずに普段着とスニーカーで下山した。
 坂道の入り口付近には「大山を甘く見るな」と注意書きの看板があったが、気にもかけず元気に歩き出す。しかし、この下りは高さや大きさも不均等な岩の階段で一つ踏み間違えれば転落しそうな険しい山道で、途中から膝がガクガクし始めた。師走というのに噴き出てくる大量の汗。引き返すことはできないくらいの距離を歩いた僕は、力を振り絞り決死の覚悟で最後まで下り切った。
 男坂を下山し切ってホッとした時「人生いろいろあるけれど生きてるうちが花。何があっても諦めず頑張るんだよ」という伊勢原に導いてくれた同級生の声が聞こえてきた。(河野 洋)

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