「スパイをやっていたんですよ」。さらっと言う伊藤富雄さんの顔は、普段通りニコニコとしていました。こちらの方がドキッとしてしまい、あまりにも堂々と言うので、次にかける言葉を失った記憶を思い出しました。
 伊藤さんは1924年に、カリフォルニアに移民した三重県出身の両親の次男としてべニスに生まれました。その後、農業の勉強のために日本の農業学校に通っている間にハワイで真珠湾攻撃が起き、日米が開戦しました。米国に戻ることができなくなった伊藤さんは、英語が堪能だったことから日本軍の情報機関で働くことになりました。そのことをスパイと言ったのでした。
 終戦後は米国市民権を返却していたこともあり、米国に戻るのに10年かかったそうです。最初はセロリやカリフラワーなどの野菜を育てていましたが、イチゴ栽培が評判になると、伊藤ファームの名が知れ渡っていきます。LAタイムズでは伊藤さんを、Mr.ストロベリーと呼んで称賛しました。伊藤さんのイチゴを食べたことがあるのですが、日本のイチゴと変わらないほど甘くて柔らかいものでした。
 伊藤さんが長く支援をしていたオレンジ郡仏教会で、八神純子さんのチャリティーコンサートをしたことがありました。終わり頃に受付にふらっと現れた伊藤さんは、八神さんのCDを数枚まとめて買うと言いました。八神さんが活躍した時代には伊藤さんは米国にいたはずでしたので、「八神純子さんの歌を知っていたのですか?」と聞いたら、「知らない」と言う。「知らなくても買うのですか?」と聞くと、返事は「伊藤スマイル」でした。私たちはこんな先人に助けられながら生かされているのだと、感謝の気持ちがあふれました。
 そんな伊藤さんが永眠したという知らせを受けて、真っ先に伊藤さんのイチゴの甘さと、「伊藤スマイル」を思い出しました。戦争に翻弄された人生も逆らわず、「自分は百姓だから」と謙遜し、強く自分を主張することもなく、信念を貫き、真正直に生き抜いたその姿は、まさにMr.ストロベリーそのものでした。(朝倉巨瑞)

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