

春恒例の歌謡チャリティーショー「春・歌まつり」はこのほど、トーレンスのアームストロング劇場で第30回記念公演を行った。日系社会に支えられ大きな節目を祝うことができた気持ちをテーマ「ありがとう…感謝」に表し、出場者26人が熱唱して観客約400人を魅了した。
主催者の荒木淳一さんによると、ショーを始めたきっかけは、カラオケ人気の絶頂期だった当時、荒木さんを含む各所のカラオケ教室の指導者7人が互いに「生徒が日頃の練習の成果を発表する場を作りたい」という思いを募らせていたことだった。それぞれの教室から生徒を出し合い、アラタニ劇場で第1回を催した。単なる「歌の祭典」ではなく、「歌で社会に貢献する」という大義を抱き、チャリティーショーとして格を上げ、定員約840人の劇場が満杯になる成功を収めた。

荒木さんは「始めの1、2回は手探りの状態で、どういうショーにすればいいのか分からなかった。またお客さんが来てくれるのか心配でならなかった」と当時を振り返る。ストレスのあまり円形脱毛症に悩まされたという。歌だけで始めたが、それでは退屈させてしまう恐れがあることに気づき、運営の要領をつかんだ3回目からは寸劇を取り入れ、その後ダンスや日本舞踊、太鼓などを加えて、バラエティーに富んだショーへと発展させた。
ショーは準備から本番まで「手作り」が自慢だ。日程と会場を決め、出演者を集めプログラムの作成、チケット販売、看板や舞台で使う大道具・小道具の準備、本番当日は背景の装飾や照明など舞台装置の取り扱いまで、出演者を含む全スタッフが協力しショーを作る。歌手は全てをこなしながら歌の練習に励む。荒木さんは「みんなが助け合い、1年の準備をかけてショーを作り上げていく。歌手は『春・歌まつり』で歌う目標に向けて一生懸命練習し、最高の衣装を着て舞台に上がる。みんなが『1年に1度の楽しみ』にしてきた」と説明する。公演終了後には荒木さんの自宅に集まりビデオを見ながら反省会を行う。バーベキューを囲みながら親睦を深め、次のショーに備える。それを30年繰り返してきた。

今年は30回の記念にふさわしい豪華な特別ゲストを招いた。日舞の坂東秀十美師が「大黒舞」と「黒田武士」を、原田グループが「花歌舞伎・連獅子」を披露し、節目のショーに花を添えた。
歌手26人はこれまでに10回以上出演してきたベテランが多く、熱唱に次ぐ熱唱で大きな拍手が送られた。後半は歌唱力のある実力者を並べ、ショーは最高潮に達した。フィナーレでは、東日本大震災から12年以上たった現在も復興途上にある被災地にエールを送るため、観客も加わり全員で復興応援ソング「花は咲く」を大合唱し、公演を締めくくった。終演後、会場出口に立ち、来場への感謝を伝える出演者らに向かって、来場者らは「これまでで1番いいショーだった」など、賛辞を返した。

幕間には、歌手3人の表彰と寄付金贈呈を行った。表彰では30回連続出場の佐藤芳江さんと長尾美智子さん、20回連続出場のルミ・チェンバレンさんに記念の盾が贈られた。寄付では、パサデナ日系シニアーズ・インクに対して公演の収益の中から2千ドルが贈られ、会長のブライアン・タケダさんが登壇して受け取った。また、日本で500人以上の歌手が在籍する「日本歌手協会」は米国で「春・歌まつり」を30回主催した荒木会長を表彰し、同協会を支援し当地で活動する「歌手協会米国友の会」会長の藤本章さんが代理で賞状を手渡した。

表彰された佐藤さんは、「荒木さんが毎年誘ってくれたので、続けて出ることができた。出演を始めた頃に『佐藤芳江親衛隊』が出来て、熱い応援をいただいたのも懐かしい思い出の一つ」と、振り返った。舞台に立つようになってから「入場料を払って聴いてくれるお客さんのために、もっといい歌を歌いたい」と、2代目コロンビア・ローズさんに師事して歌唱力を磨いた。ローズさんからセリフのある歌を勧められ、「佐藤芳江といえば、セリフのある演歌」が定番となった。この日は、「お梶」を独特の艶のある声で歌い、セリフは感情を込め、「恋の成就がかなわぬならば…」と悔しさ、悲しさ、憎しみを、お梶に成り切って表現した。

同じく出場30回の長尾さんは「30年と言われると長く感じるが、あっという間だった。歌を通して、いろんな人たちに巡り会い友達ができたことがうれしい。私の人生の1ページとして、楽しい思い出をたくさん作ることができ、すごく感謝している」と語った。舞台衣装はいつも派手な色の和服に、帯を前で結んで身を包み、ヒール、イヤリング、ブレスレットで決める。「それが私のトレードマーク。30年同じスタイルで通した」と話す。この日も独特のいでたちで舞台に上がり、観衆の目を奪った。
20回表彰のチェンバレンさんは、「最近はコロナのパンデミックがあり、感染防止に努めるのに必死で、歌を忘れるほどだった」と述べ、舞台から遠ざかったブランクが復帰に影響したことを吐露した。「去年の9月に『春・歌』が再開できてよかったが、その時の自分は歌に対する熱意が冷めた感じがしていた。もう引退してもいいと思っていたが、今回20回出場で表彰していただき、また、皆さんが喜ぶ顔が見えたので、もう少し頑張ろうと思う気持ちを取り戻した」。

「荒木さんは第1回からわれわれの団体に寄付を続けてくださっている」と感謝を述べるパサデナ日系シニアーズ・インクのタケダ会長は、「春・歌まつり」について「どの歌手もとてもうまく、素晴らしいショーだ。だから多くの人が毎年、来場し、30年も続いているのだろう」とたたえた。
記念のショーを終えた荒木さんは、「どの歌手も、一生懸命に練習したことが実った。今年がこれまでで1番いい『春・歌まつり』になった」と胸を張り、「お客さんに喜んでもらい、『これまでで最高のショーだった』と、ほめてもらえたことが何よりもうれしい」と喜んだ。
記念公演を成功裏に終えた荒木さんだが、近年、カラオケ愛好家の高齢化に伴い、カラオケ人気が下降していることは否めず、また観客数も減少していることから、来年以降については思考を巡らしている。30回を区切りとし規模を縮小し、来年以降はアームストロング劇場とは違う場所で歌手の発表の場を提供する考えを示しており、「方針が決まり次第発表する」としている。

