毎年1月には昨年の暦を外して、まっさらな暦をつり下げます。喜んだり失敗した思い出の時間たちを束ねた昨年の暦を、過ぎ去った過去のものとして葬る作業は、なんとなく後ろめたいものですが、そうしている間にも時間は過去を作り続けています。
 オリバー・バークマン著の「限りある時間の使い方」という本では、「時間はベルトコンベアーで続々と流れてくる容器のようなもので、その容器をいっぱいにして流せば時間を有効に使ったと感じ、空のまま流せば時間を無駄に使ったという罪悪感を感じる」と書いてありました。平均すれば人の人生はたった4千週間なのだそうです。できるだけ多く、中身の詰まった容器にしようと思ってしまうものです。しかしながら、絶えず容器が流れてくれば、どこかで疲れてつまずくのも人として当たり前です。あふれた容器も空の容器も自分自身そのものであり、焦ることでも嘆くことでもないのです。
 子どもの頃は早く大人になりたいと願い、時間がなかなか進まないのを恨んだものですが、年を重ねるにつれて、誰もが時間が過ぎるのが早いと感じるようになります。これは大人は子どもよりも新しい体験をすることが少なかったり、未来への期待感が少なくなることが要因で、時間が早く過ぎるように感じるのだという説もあるようです。であれば、自分の年齢などは無視をして、やってみたいこと、新しいことを体験することで、将来への期待は膨らみ、時間もゆっくり流れるようになるに違いありません。平均的には余生はあと何週間だから、こんなことしかできないなどと、決してつまらない計算をすべきではないのです。
 そもそも、「時間は使うもの」だという考えが、有効や無駄などという発想を生むのです。「時間を味わう」ように過ごそうとすれば、違った人生に出会えます。何かを学ぼうとしたり、新しい体験に挑戦することも貴重な時間となります。手書きの手紙を書くことも、コーヒーをゆっくりと飲む時間も同様に、それぞれの個性でそれぞれの時間の味わい方があるからこそ、人生は豊かになります。(アサクラ ユウマ)

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