
アラタニ一族の気品あふれる母として知られ、3月18日に亡くなったサカエ・アラタニさんの追悼式が27日、家族や親しい友人らにより営まれた。104歳だった。サカエさんが生前に行った慈善活動と多くの団体への支援は、日系米国人コミュニティーに深い足跡を残した。小東京にはアラタニ夫妻が支援した重要な施設が数多くあり、日米文化会館の「アラタニ劇場」、全米日系人博物館の「ジョージ&サカエ」中央ホール、そしてアートセンターの「アラタニ庭園」には2人の名が冠されている。

サカエさんは1919年に、ガーデナで園芸業を営む両親、井上エイジロウとカツ夫妻の間に生まれた。戦時中はアリゾナ州のポストン収容所に収容された。夫ジョージ・アラタニさんとは戦争が始まる数年前に出会っていた。ジョージさんはポストンからほど近いヒラリバー収容所に収容され、米軍兵士に日本語を教える講師として米諜報部隊に所属した。任務のためミネソタ州に派遣される直前、ジョージさんはサカエさんに結婚を申し込んだ。サカエさんと母はミネソタへと向かい、44年にミネアポリスで結婚式を挙げた。
戦後はボイルハイツに居住し、この時期にサカエさんは慈善活動に深く関わるようになった。最初はロサンゼルスの日本人と白人の女性たちが共に活動する団体に参加し、日本の戦争未亡人たちを支援するという使命に共感し尽力した。全米の女性団体や教会に働きかけて、捨てる予定のナイロン製ストッキングを集めて日本に送った。日本では戦争未亡人たちが使い古しのストッキングから糸や装飾品を作り、生計を立てるのに役立てていた。
サカエさんは南加日米協会(JASSC)の理事を20年間務めた。現在も続く日米協会のゴルフトーナメントを初めて開催したのはサカエさんだった。同協会はウェブサイトで協会の組織とその使命に深い影響を与えたサカエさんをたたえ、以下のように記している。「サカエさんの心は常に他人への奉仕にささげられ、米日関係構築を推進した日米協会の生涯の支援者だった。彼女の優しさと寛大さは限りがなく、最近もJASのメンバーを自宅に歓迎し、高齢とは思えないほど完璧な茶道のお点前を見せてくれた」
50年代初頭、サカエさんはゴルフ仲間と共に初の「2世女性ゴルフクラブ」を設立し初代会長となった。女性たちは毎月集まってはプレーや交流を楽しんだ。
また、日本からの女性たちと共に音楽家のフォーラムを創設し、若い音楽家にオーケストラで演奏する機会を提供した。この団体は現在、アジアアメリカ交響楽協会(Asia America Symphony Association)として知られている。多くの日本の若手が指揮者の菊川暁博士と演奏する機会を得た。サカエさんは同協会の資金集めを行う「アジアアメリカ交響楽協会ウィメンズギルド」の創設者の1人である。
特筆すべきは「日系米国人モンテベロ女性クラブ」の創設者の1人でもあるということだろう。この慈善団体はシティー・オブ・ホープ病院のための多くの募金活動を組織したり、敬老引退者ホームの車椅子購入資金を集めたりした。日系人の歴史を語り継ぐ非営利団体「Densho」との2017年のインタビューで、サカエさんは「モンテベロにはそういうものがなかったので、私たち5、6人が集まって、クラブを作ることに決めた。資金を集める計画を立て、他の女性たちに興味を持ってもらえるようにした。今でも、モンテベロ女性クラブのようなクラブはないと思う。私たちはとても活発で、コミュニティーのために多くのことをした。私がその一部であることを誇りに思う」と述べている。
1960年代、サカエさんは三菱創業者の孫・澤田美喜さんを支援した。澤田さんは戦争終結後の日本で生まれた2世混血児のために大規模孤児院「エリザベス・サンダース・ホーム」を創設し、社会から疎外され捨てられていた子どもたちを引き取った。多くの子どもたちが南米に移住することになった時、そこではコーヒー農園での仕事が保証されていたが、澤田さんは子どもたちが靴を持てないのではないかと心配した。それを受けてサカエさんはすぐにこちらの学校関係に働きかけ、古靴を集める作業に取り掛かった。澤田さんは、サカエさんが予想を超える形で彼女の要求を果たしたことに驚いたという。
アラタニ夫妻は2004年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)が米国で初めて、第2次世界大戦中の日系米国人の収容とその後の補償を研究するための学術的な講座を創設するのに基金を提供した。初代の講座担当者は研究者の故ラーン・リョウ・ヒラバヤシさんだった。
13年、アラタニ夫妻はUCLAアジア系米国人研究部門を支援するアラタニ基金を設立した。これは、日系米国人コミュニティーを支援し、コミュニティーとUCLAの結びつきを強化するプロジェクトを促進することを目指している。また、地域振興研究の基金である「アラタニCARE」賞も創設した。
荒谷サカエさんは日本政府によって初めて認められた日系米国人女性で、1963年に勲章を受章した。晩年、夫の死後はアラタニ家族財団の会長を務めた。
余暇には、ちぎり絵や墨絵を楽しみ、その作品で数々の賞を受賞している。
遺族は香典を辞退し、その代わりとしてサカエさんの人生に大きな影響を与えた団体である南加日米協会、全米日系人博物館、Keiro、日米文化会館への寄付を呼びかけている。これらの団体に寄付するためのリンクは、サカエさんを追悼するために設けられたオンラインサイトのゲストブックページにある。
https://www.remembering sakaye.com/
(グエン・ムラナカ)
