現在、日本に滞在中。夫の郷里・高知の町を歩くと、NHK連続テレビ小説「あんぱん」のポスターがあちこちに貼られている。商店街には同じデザインのバナーがずらりと並ぶ。米国でも日本語テレビを通じて放映中の「あんぱん」は、アニメ「それいけ!アンパンマン」の作者で高知出身の絵本作家やなせたかしさんと妻のぶさんをモデルに描いたドラマだ。
 おなかの空いた者に自分の顔を食べさせて救うアンパンマンは、ずいぶん前から幼児世代に人気のヒーローだ。岡山~高知を結ぶ特急列車「南風」にアンパンマンのラッピングカーが登場して今年で25年。駅のホームでは列車の前でポーズを取る子どもたちも。やなせさんの出身地にはアンパンマンミュージアム(香美市立やなせたかし記念館)があり、子どもと訪れたこともある。
 しかし、アンパンマンを生み出したやなせ夫妻が今ドラマに取り上げられるのは、決して幼児人気に乗ったものではないらしい。
 この夏で、日本は戦後80年。忠君愛国のもとに挙国一致で戦争に向かっていた日本は、敗戦でがらりと変わり、米国から導入された民主主義へと歩が進められた。それまで信じていた善が悪になり、悪しとされたものが善になるという、大きな変換の渦中で何が正義なのか悩んだやなせさん。たどり着いたのは、飢えている者を助けることこそが正義だったという。ドラマ「あんぱん」は、「逆転しない正義とは何か」を考えることを提示するドラマのようなのだ。
 思えば、子どもの頃の私には、怖いことが二つあった。生きている間にまた戦争が始まるのではという恐れと、自分の意見を述べることのできる人間になれるかという恐れだった。あれから数十年、自分は強い大人になれただろうか。日本に直接に戦争が降りかかることはなかったものの、世界の各地では今も「正義」の衝突から戦争が起きている。
 コンパスで描いたような丸い頭と丸い鼻が愛らしいアンパンマン。これまでは子どもたちの笑顔が浮かぶだけだったアンパンマンに、世の中の逆転に立ち会うことになった父母の世代の困惑や幼かった自分の決意もまた呼び起こされている。(楠瀬明子)

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