1月の終わりのこと、同僚のAさんとふたりでシカゴ郊外のオークパークの高校へ向かった。
この日はその高校で恒例のジャパン・フェスティバルが開催されるので、会場に勤務先のインフォメーションデスクを出すためである。会場のロビーには、ブース出展者の団体名や企業名、会場の案内、イベントのスケジュールなどが、全て生徒の手になる日英両語で掲示されている。
日本祭りらしく浴衣や法被を羽織った生徒が右往左往する会場に、長年この催しの采配を振るう、勤続25年の日本語教師、S先生が現れた。動きがキビキビしており、生徒と見分けがつかないほど、相変わらず若々しい。
生徒をロビーから数段高い踊り場に整列させ、自分はロビーに立って、開催に先立ってあいさつをしておられる。「いよいよプログラムが始まります。今日こうしてジャパン・フェスティバルが開催できるのは、みんなが今日まで一生懸命準備をしてくれたからです。本当にありがとう!」。ここで先生は生徒たちを端から端まで見渡したあと、深く頭を下げ、そして続けた。
「さぁ、頑張って、そして何よりこのフェスティバルを一緒に楽しみましょう」
日英両語のあいさつが終った途端、生徒たちはワッと弾けるような歓声を上げてそれぞれの持ち場に散っていった。
広報ブースをセットしながらそれらを見ていた私は、このイベントが長い間続いており、年を重ねるたびに充実してくる理由を理解した。
それはS先生の存在である。同僚のAさん自身、十数年前に初めてS先生から日本語を習ったのだという。大学では日本語で修士号を取り、半年ほど日本の大学に学び、日本語能力テスト2級をパスしている。
彼女自身のよどみない努力があったことはもちろんだが、最初に日本語のドアを開いてくれたのがS先生だったという幸運を否定できない。
感謝の気持ちを伝えるとき、言葉だけではなく、生徒たちに深く頭を下げたS先生は、日本の心をも伝えていたのだ。果たして生徒たちがそれをどのような形で理解したかは、私には分からない。しかし言語は言葉だけでは伝えきれないものだと思う。(川口加代子)

