5月の第2日曜日は「母の日」。以前、私の友人がお母さんを亡くした。「参ったよ。覚悟はしていたがおふくろの死がこんなに辛いとは思ってもみなかった」60歳を過ぎた彼のしみじみした口調は私の心に響いた。私も母親を亡くした時に同じような思いをしたからだ。
 男性の多くは思春期に母親に反抗して「うるさい」「放っといてくれ」と乱暴な言葉を投げたり、場合によっては暴力をふるったりする。しかし心のどこかで「母親は絶対的な味方だ」という安心感がある。だから安心して乱暴にふるまうのだろう。思春期のやり場のない内から湧いてくる反抗心が、手っ取り早く身近で安心な母親に向けられる。
 やがて思春期を過ぎ、社会に出てさまざまな困難に出会い、本当に辛い目に会った時には母親を思い出す。どのような時にも絶対的な信頼と裏切られることのない愛情を確信できるからだ。戦場で最後に死を迎える兵士の多くは「お母さん」と呼ぶそうだ。心には自分の思春期に母親になした態度を悔い、懺悔と共に最後の救いを求めたのかも知れない。
 小説家・遠藤周作と評論家・佐藤泰正との対談「人生の同伴者」に、日本の隠れキリシタンは多くが聖母マリアを信仰していたことが記されている。
 苛烈な弾圧を受けた彼らはやむを得ず、昼間は南無阿弥陀仏と唱え、夜は密かに集まって聖母マリアに許しを請う。生存をかけたギリギリの選択なのだが罪悪感は拭えない。そのためイエス・キリストではなく、理屈を超えて何もかも受入れ、許してくれて慈愛を注ぐ母の象徴たる聖母マリアにすがることになったという。
 すまないという意識は日本人の母への共通の思い…。
 母の日にLAの友人からメールが届いた。「これはまだ母が生存しており、しかし老化現象が出ている高齢の母を持つ人々にはぜひ読んでほしい文章です。ボケつつある母への理解と寛容の必要性を教えてくれます」…フェイスブックに載った作者不詳の詩「親愛なる子供たちへ」、友人の訳詞に感動した樋口了一が作曲している。老いた母の悲しみと子への切なる願い。検索してぜひ感動を味わっていただきたい。【若尾龍彦】

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *