
「娘さん、男になりたいのね」
私の娘が女性のパートナーと結婚することになったと告げたとき、ある日本人にこう言われた。娘は、女性に恋愛感情を抱くレズビアンという性的指向を持つが、自分の性別に違和感を持ついわゆるトランスジェンダーではない。性的指向と性自認が混同されやすいことを知らなかった私は、どう答えてよいかわからず曖昧(あいまい)な返事を返した。
娘が同性愛をカミングアウトしたのは、大学を卒業し就職してからのこと。2012年に大学院進学のためニューヨークに戻ってきた娘は、キャンパスのLGBTQ団体主催のレズビアン向けパーティーに参加し、そこで知り合った女性と2014年に婚約した。私は、娘が人生の伴侶を見つけたのがうれしくて、会う人ごとに娘の婚約を伝えていた。
多くの知人がお祝いの言葉を返してくれるなか、ニューヨークの日本人社会では、祝福をためらう反応に出くわすことが少なくなかった。日本からの情報に依存していたり、自分の周りにLGBTQの人はいないと思い込んでいたりする人たちは、知り合いの娘が同性愛者だと言われたとき何と言えばいいかなど、考えたこともなかっただろう。
「女性と結婚するんですか。本人さえ良ければ、それはそれでいいんじゃないですか」
そんな言葉を投げかけられるたび、私は得体のしれない違和感を覚えた。その違和感とは、振り払っても首に真綿が巻き付いているような、あるいは、顔の周りにふわっとビニール袋をかぶせられたような「息苦しさ」と表現するのが一番近いかもしれない。
無意識にやらかしてしまう差別
私は、LGBTQの子を持つ親や家族の支援団体で活動している。講演会などで、子どもからカミングアウトされてどう思ったかとしばしば聞かれる。意外に思われるかもしれないが、「ほっとした」というのが本音だ。娘はもともと感情を外に表さないタイプのうえ、年頃になっても誰かに夢中になったのを見たことがなかったので、
「この子には感情がないのだろうか。ひとりぼっちで年老いていくんだろうか」
と不安だった。だから娘から「デートに行くよ」と、うれしそうなメールが来たとき、相手が女性というのは問題ではなかった。
もちろん、カミングアウトされた親の誰もが私と同じような反応をするわけではない。むしろ、子どもの性的指向を受け入れるのに時間がかかったという人のほうが多い。それは親たちが育った環境を考えれば無理もない。
私たちの世代、特に日本で育っていたら、周りにゲイを公表している人もおらず、テレビで見る性的少数者は「オネエタレント」だけで、とにかく性的少数者に関する情報が偏っていたからだ。子どもがゲイと知った時、とっさに思いつくのがお笑いの対象となるゲイキャラクターであれば、どんな親でも子どもの将来に不安を感じるのではないか。
広島修道大学の河口和也教授が2015年に日本で行った調査によれば、「子どもが同性愛者だったらどう思うか?」との問いに、72パーセントの回答者が「嫌だ」、または「どちらかといえば嫌だ」と答えたという。
幸いなことに、私は日本人社会で露骨な「同性愛嫌悪(ホモフォビア)」を経験したことはない。私が感じた真綿あるいはビニール袋的な「息苦しさ」は、はっきりした嫌悪ではなく、同性愛って何か気持ち悪いなあと遠回しに拒絶されているモヤモヤ感からくるものだった。同性愛を理解できないのは仕方がない。だが、娘の婚約を聞いて「本人さえよければ、同性婚でもいいんじゃない」と言い放つ口調には、「私ならそんな選択はしない。だって同性愛って普通じゃないでしょ」という本音が見え隠れしていた。
もっとも、「遠回しな拒絶」は差別や偏見にあたらないかといえば、そんなことはない。たとえ「遠回し」でも、明らかに差別である。偏見から無意識にやらかす差別を「マイクロアグレッション」という。だが、この手の差別は、受ける側も差別されていると意識しにくい。だから当時の私は、何を言われても言い返すことはなかった。
だが、最近はそうではない。私は、娘がレズビアンであることを(娘の承諾が得られたときは)公表している。ニューヨークにも、娘の結婚相手は男性だと思い込んで「娘さんの夫」と言う人はいる。あまり親しくない人なら、相手に合わせてその場をしのぐことも可能だ。でもそれは、レズビアンである娘をいないことにするのと同じである。
だから私は、「娘の〝夫〟でなくて〝妻〟ですよ。二人はお互いを妻と呼んでいるので」と相手の言葉を修正する。異性愛者の親なら絶対に経験しない、こうした些細(ささい)なことに小さないら立ちを感じるたび、同性愛者本人たちはいったいどんな気持ちで毎日過ごしているのだろうと思う。
異性愛と同性愛は地続き
私は娘に、彼女が大学卒業までカミングアウトしなかった理由を尋ねたことがある。娘は、レズビアンとして生きる決意をするまで時間がかかったという。娘はハイスクールのとき、周りの女の子が男の子とつき合うのを見て、「女の子に惹(ひ)かれる私は普通ではないのか」と悩み、自分の性的指向を素直に認めることができなかったという。
日本でも米国でも、恋愛は男女がするものと考える人が大多数だろう。特に日本ではつい最近まで、保健の教科書に「思春期になると、異性に関心を持つようになる」と書かれていた。また日本では、結婚して家庭が築けるのは男女のカップルだけなので、そもそも同性同士が恋愛し家庭を持つ姿がイメージされにくいかもしれない。
では、同性間の恋愛関係が「普通でない」という考え方はどこから来たのだろう。
社会には男女ふたつの性別しか存在せず、男女間の結婚や性的関係だけがノーマルだとする考え方を、「異性愛規範(ヘテロノーマティビティ)と呼ぶ。この規範にならって、年頃の男性は「結婚してやっと一人前だよ」と上司に発破をかけられる。一方、結婚しない女性は、「男性にモテない売れ残り」とみなされる。つまり異性愛規範は、社会からゲイやレズビアンなど性的少数者の存在を抹消してしまうのだ。

恋愛感情または性的興奮が誰に向かうのかを示す性的指向は、ゲイやレズビアンだけが持っているのではない。異性愛(ストレート)も立派な性的指向だ。性的指向を一本の線で表し、一方に100パーセント異性にしか惹(ひ)かれない人、もう一方に100パーセント同性にしか惹かれない人を置くとしよう。自分は異性愛者だという人も、高校時代、素敵な同性の先輩に淡い恋心を抱いた経験があるかもしれない。ある人は、同性とキスぐらいならできると思っているかもしれない。逆に、同性と手をつなぐと考えただけで虫唾(むしず)が走るという人もいるだろう。異性愛者と言っても、同性に対する意識の色合いが濃い人、薄い人など一人一人違っている。
こうしてみると、同性愛者と異性愛者は、いわば地続きの関係になっているのが分かるだろう。私たちに、その多様な色合いを作る一人ひとりの人権を尊重する気持ちがあれば、差別や偏見が入り込む余地はないはずだ。
娘とそのパートナーは、ニューヨークの街中で手をつないで歩かない。同性愛者に対する嫌がらせを避けるためだ。異性愛カップルが周りの目を気にせず手をつないで歩いているのを見ると、つい娘たちのことを考えてしまう。なぜこんな普通のことが、うちの子どもたちには簡単ではないんだろうと。ゲイやレズビアンのような性的少数者たちには、「手をつないで歩かせてくれ」と声に出すことすらためらう人が多い。その分、私のような親や性的少数者を積極的に応援する「アライ」と呼ばれる人たちが、当事者の代わりに動くことができると思う。
私の夢は、同性愛者であれ異性愛者であれ、誰もが安心して愛する人と手をつないで歩ける社会を作ること。そのためには、まず性的少数者に関する適切な情報を社会に届け、偏見をなくすことが必要だと考えている。私と同じ夢を持つ世界中の人々と共に、すべての人が生きやすい場所を作っていきたい。
矢部 文(やべ・あや) ロサンゼルスを拠点とする日系LGBTQ団体「Okaeri」の「Okaeri Connects!」日本語グループの共同ファシリテーター。レズビアンで既婚の娘の母親。日本人を含むアジア系LGBTQ当事者とその家族を可視化することで、彼らの存在が当たり前と受け止められる社会づくりを目指して活動中。ニューヨーク在住。
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