今年も日本語能力試験の監督官を務めた。中西部では唯一の試験会場であるシカゴでは、525人が受験登録をしたそうだが、前日の雪が止んでぐんと冷え込んだにも拘わらず、出席率は良く、私が担当した中級では91%だった。
 受験者は中、高校生から社会人までさまざまだが、70歳半ばの韓国系男性が一人居た。仮にAさんとしておこう。誰も皆緊張した面持ちで席に着き、テストの始まるのを待っていたが、特にAさんは落ち着きがないように見えた。
 テスト用紙と回答用紙の記入の仕方など細かい説明を英語で行い、テストが始まってしばらくすると、Aさんがガサガサと解答用紙を返したり、困った様子で二番目、三番目の解答用紙とテスト用紙を見比べたりし始めた。傍に行ってみると「語彙」のテストに文法・読解の解答用紙を使っている。途中でおかしいと気付いたらしく顔を赤くして途方にくれた様子。
 早速新しい解答用紙を渡すとほっとしたように「ありがとう」と言って問題に取り組み始めた。説明がすべて英語で行われたことがAさんにとっては問題であったらしい。ところがしばらくすると今度は問題用紙を眼から離したり近付けたりし始め、突然立ち上がったと思うと壁に掛けた自分のバッグに手を伸ばした。
 受験者がカンニングをしないようにするのも監督官の仕事である。驚いてAさんのバッグを押さえて「試験中はバッグを開けられませんから」と小声で注意すると、「メガネ、メガネ!」と大きな声を上げた。
 その後は最後の聴解テストまで誰一人不正をする人もなく滞りなく済んだが、Aさんは「歳をとると駄目です。いろいろ済みませんでした。有難うございました」と丁寧にお礼を言って帰っていった。
 「どういたしまして。これからも頑張ってくださいね」と送り出した私に、Aさんの温和な笑顔が振り返った。また来年も試験会場でAさんに会いたいものだ。
「Aさん、日本語を勉強してくれてありがとう」【川口加代子】

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