昨年は日本の米不足で、急激に値段が高騰しました。備蓄米が放出されて、米を安く卸すための税金投入も行われました。海外からも多くの米が日本に輸入されました。なんでも日本の方が安いと思っていましたが、米だけは米国の方が安く買えるという逆転現象が起こりました。本当に足りなかったのか、大手米卸が買いだめをしていただけなのか真相は分かりませんが、米農家にとって米価格の高騰は所得増に違いないと納得していました。
それがいつのまにか元の値段になっており、結局あの令和の米騒動はなんだったのかと思います。急激に乱高下した米の値段に、米農家の深いため息が聞こえるようです。唯一分かったことは、米は日本人にとって特別な食べ物だということです。戦中戦後は食糧不足で、米はぜいたく品でしたが、昭和世代はずっと米で育ってきました。米のありがたさを知っているからこそ、米を作る農家にも感謝の気持ちを持ち続け、米は特別な食材であることが刷り込まれているのだと感じます。
かつて、北大路魯山人は、アメリカからの来客をもてなすために3段階に分けてご飯を食べてもらいました。最初は少し硬く、2回目のものは甘みと粘り気があり、最後に出したのはおひつに移して味を変えたものでした。なぜご飯を3回に分けて出したのかという質問に、魯山人は答えました。「1杯目は炊き上がる直前の走(はし)りで、生まれたばかりの清いもの。2杯目は最も美味しい盛(さか)り。3杯目は落ち着いた味わいの名残(なご)りなのです」。魯山人は、ご飯を人生になぞらえて、「老いもまたよし。老いも、死も恐れるものではありません」と語りました。客人は魯山人の含蓄に深く感銘を受け、日本文化の精神性や芸術性に感心したという逸話が残っています。
米は食材というだけではなく、水に浸す、炊く、蒸すなど、名人の域にまで達する炊飯の技に支えられていることに気が付きます。そして器には芸術を感じることができます。「老いもまたよし」の境地に辿り着くことは果たしてできるのか、自分に問いかけました。(アサクラユウマ)
