日本では、一年で一番寒い1月20日頃を大寒と呼んできました。冬は、一年で太陽の恵みが最も短い冬至の時期から、寒さの始まりである小寒、そして最も寒い大寒に移り変わります。日本ではこの時期マイナス20度(摂氏)を超える地域もあり、そういった場所にも相応に適した生活が営まれてきました。伝統的に私たちは、寒さを耐え偲ぶという生活を選んできたのではなく、寒さを利用して生活をしてきました。
 たとえば、大寒の時期には寒気を利用した凍り豆腐や、寒天、味噌などの保存できる食料を仕込み始める時期でもありました。寒さを嫌うのではなく、寒さの恩恵を生活の手段としてその時期が来るのを待ちわび、季節ごとに必要な事柄を無事にやりとげ、そして次の時期を待つ。そんな季節の変遷を親類や家族が共に楽しんだのではないでしょうか。
 そのように考えると、冬に人工的に温かくしてしまい、夏には心配なほどの冷気を作ろうとするような行為は、自然と共に生きてきた日本人の生活を少しずつ蝕んでいったのではないでしょうか。季節感の喪失です。現代の私たちの生活では、遥かに多くのあらゆる選択肢が与えられています。夏にみかんを食べることも、冬に夏野菜を食べることも自由に選択できます。その気になれば自宅から職場まで、冷気にさらされることなく通うことができる生活も選択可能です。
 飛鳥時代から何と明治期になるまで、日本では自然暦が一般的でした。自然の移り変わりを楽しみ、季節を淡々と生き抜く術も、私たち日本人の遺伝子の中には備わっているに違いありません。自然暦では、大寒が一年の終わりになります。そして一年の始まりである立春が少しずつ、しかも確実にやってきます。動植物の生態に冬が大切な役割をしているように、私たちの生命への恩恵を受けています。冬には、冬にしかできない純真な心の芽を育む季節なのです。【朝倉巨瑞】

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