日米文化会館はレスリー・イトウ館長が案内し、アラタニ劇場とノグチプラザ、日本のアニメ展を見学した。同館の小阪博一アートディレクターによると、外相は広島市の2つの川に架かる橋の欄干をイサム・ノグチがデザインしたことを知っており、その芸術センスの高さを認めている。「ここにもノグチの作品があるとは知らなかった」と、興味深く鑑賞していたという。アニメ展は、日本政府が推し進めるクールジャパンの事業に合致するだけに、じっくりと時間を掛けて見て回った。イトウ館長は「外相は熱心に質問し、日本文化の紹介という活動に理解を示してくれ、とてもうれしい。われわれの組織を訪れてくれ、とても光栄だ」と述べた。
小東京の視察を通し「日系人がそれぞれの立場で長い歴史の中で苦労して頑張ってきたことが分かった。こうした歴史を振り返りながら、日本の政府もしっかりとみなさんの活動を支援しなければならないと感じた」と話した。東日本大震災の支援に対し「みなさんから温かい力添えをいただいた。その復興の姿を世界の人々に見てもらうために2020年の東京オリンピックを開催するために頑張っている」と、日本の取り組みに力を込め、懇談に入り、参加者一人ひとりと、あいさつを交わし、各団体の活動やそれぞれの意見に耳を傾けた。
小東京協議会議長の岡本雅夫さんは、小東京の地下鉄の路線接続と新たな駅の建設や歴史保存などさまざまなプロジェクトを紹介し「外務大臣はコミュニティー活動にとても興味を持っていた。特に小東京の歴史保存と、交番の市民が町を守る活動に関心を示していた」と述べた。
在外投票実現のために活動した海外有権者ネットワーク会長の高瀬隼彦さんは、これまでの活動を説明し「(7月の)参院選もここから投票できます」と伝えた。
握りずしの普及に貢献した共同貿易会長の金井紀年さんは、1985年の元日にセンチュリーシティーで開かれた当時のレーガン大統領の歓迎会に臨席し、メニューにその頃は、まれだった、すしが振る舞われた時の感激を紹介した。金井さんは、日本の若者の内向的な性格を憂いており「海外に出るべき」と唱え、政府の留学奨励を願い出た。
オレンジ郡日系協会会長で実業家の藤田喜美子さんは、多くの日系企業が進出するアーバインを中心にした同郡の発展ぶりを紹介した。地元の大学と短大で日本語を学習する生徒が約500人いるとし「日米関係に重要なのは若者の人材育成で、その基礎は語学である」という持論を述べ、日本語学習者のためのよりよい環境づくりのための日本政府の援助を求めた。同協会の活動には「27年も続き、すばらしいですね」と誉められたという。
岸田外相は約50分にわたり、参加者の意見を聴いた。参加者に向けあいさつし「それぞれの活躍する様子が分かり、みなさんから元気をいただいた。日本の国そのものが頑張り、元気を出すことが海外で頑張る日本人を後押しすると思う。それぞれの地域、立場で頑張って活躍してほしい」とエールを送った。
伊原北米局長が「帰郷」
「総領事、お帰りなさい」
「総領事、お帰りなさい」。「総領事」とは、前職のことで、岸田外相の外遊に随行した伊原純一・北米局長が、日米文化会館での懇談会で歓待を受けた。「お久しぶりです」「お元気ですか」「懐かしい」「変わらないですね」などと、当時の懐かしい話に花を咲かせた。
在任中は、二世週祭や第九合唱、50周年、100周年の記念祝賀会など、さまざまな行事に参加した。コミュニティーの発展と日米関係の強化のためにともに汗を流した同士との再会について「懐かしい方々の顔を見ることができ、みなさんが元気に活躍するのを見て本当にうれしかった」と、感動の面持ちで話した。
3年4カ月という異例の長い任期でコミュニティーに深くかかわっただけに帰任の際には「ロサンゼルスは第二の故郷だ」と、真規子夫人ととも親しくなった人々との別れを惜しんだ。「家内はまだロサンゼルスの生活のことを懐かしんでいる。帰ったらみなさんが元気に頑張っていることを話したい」と、「帰郷」を伝える。