大会を終え、笑顔で健闘をたたえ合う日米両国の選手
 元大リーグ投手の野茂英雄さん(ドジャースなど)、長谷川滋利さん(エンゼルスとマリナーズ)がそれぞれ率いる日米両国の少年野球チームが21、22の両日、コンプトンのアーバンユース・アカデミー(UYA)で親善大会を開いた。4試合で熱戦を繰り広げ、野茂総監督の「ジュニア・オールジャパン」が全勝した。両チームすべての選手が初の国際大会で成長を見せた。異文化に触れる交流も図り、野球人生の貴重な経験を積んだ。【永田潤、写真も】
硬いマウンドに順応し、力投する高山優希投手
 日本チームは、野茂さんが理事長を務める社会人野球チーム「NOMOベースボールクラブ」(清水信英監督)が運営し、将来有望な中学3年生の選手に国際経験を持たせる目的で毎年、夏休みに米国遠征を行っている。5回目の今年は、ボーイズリーグに加盟する全国各地区のチームから12人、ヤングリーグから3人の計15人を選抜し、代表チームを結成。対する米国チームは、UYAに所属する選手を選りすぐり組織した。
 日本チームは、エリートで固めた。来春の高校進学は「甲子園に出て優勝したい」と強豪校を志望し、将来は日本のプロ、大リーグを夢見る選手たちばかり。全体練習はわずか2回という急造チームながら、実力を発揮。オフシーズンのハンディを持つ米国を6―2、15―0、17―2、13―0で圧倒した。
 過去、この親善試合に参加した選手の中でも、甲子園大会に出場した大阪桐蔭3年生の森友哉捕手(18歳以下W杯日本代表)と明徳義塾2年生の岸潤一郎投手は、昨夏は準決勝で、今夏は3回戦で対戦するなど、同選抜チームの実力の高さを物語っている。選手たちは野茂さんがかつて投げたドジャー球場を訪問した。フィールドで練習を見学し、憧れの大リーガーに会い「メジャー」という大きな夢を膨らませ、世界への視野を大きく広げた。
両国選手、多くを吸収
将来の国際舞台で生かす

一塁に送球し、併殺を決める越智康弘・遊撃手
 日米両国の選手は、ともに初の外国チームとの対戦で互いの違いを学びながら多くを吸収した。今回の経験を生かし、将来の国際舞台での活躍が期待される。
 主将の山本侑度捕手によると日本選手は、米国選手に初めて会ってまず、体格の違いに「大き過ぎてビビった」という。プレーでは米選手を評して「パワーがあって、スイングが速い。初球から積極的に振ってきて、思い切りがよかった」。投手については「変則フォームで、打つのが難しかった。ナチュラルに変化する直球が多かった」と日本にはいないタイプを多く経験した。米遠征全体については「日本と大きく環境が変わって、みんな慣れるのが大変だった。でも英語が分からないけど、通じればおもしろい。みんなが、すごくいい経験を持つことができた。学んだことをチームに帰ったら報告したい」と述べた。
 先発1度を含む2試合で登板した藤本海斗投手は、積極的に打ちにくる打者への対応で「初球はストレートを狙われるので、変化球から入ろう」と山本捕手と話し合った。変化球は、カーブ、チェンジアップ、シュートの3つの球種を持つ。カーブを決め球とし、カウントを取る遅い球と、三振狙いの速い球を投げ分け、米打者を翻弄した。米打者の特徴を「2ストライクに追い込むと、思い切って大振りしてくると分かったので、ていねいに投げた」と振り返った。
タイムリースリーベースヒットを放つ小松田卓宏選手
 4番を打った小松田卓宏内野手は、変則的なフォームで長身から投げ下ろす落差のあるチェンジアップに手を焼いたという。さらに、外国人特有のゆらゆらと動く球を初めて経験し「球の回転が日本と違って(不規則で)打ち辛かった。スイングし始めた時に回転の速度が速まり、変化が大きくなってバットの芯を外された感じがした。動く球は、しっかりと捉えないと、遠くに飛ばないことが分かった」と収穫を得た。初の天然芝では、三塁と遊撃を守り「打球が来るのが、いつもよりも遅く感じた。天然芝では、待って捕ったらだめで、前に出なければならないことを知った」と話した。
 クリス・リンカーン投手は、1試合に先発して3回を投げて9点を許し、試合までの準備期間の短さを悔いた。日本の打者について「とてもコンパクトに振り、鍛え抜かれた感じがした。シングルヒットを打って、打線をつなげていた」と実力を認めた。同投手は高校進学後はUCLA、そしてプロを目指しており「将来またいつか日本と対戦したい。今日の経験が生きると思う」と話した。
 全試合に出たエリオット・レイン捕手は、日本の打者について「1番から9番までがコンタクトヒッターという感じで、球を捉えるのがうまかった」と高く評価。投手については「コントロールがよく、速球、変化球どちらも緩急をつけて投げ分けられたので、とても打ち辛かった」と語った。夕食を日本選手とともにし「言葉が分からないけど、同じ野球選手なので心がすぐに通い合った感じがした。日本選手は、われわれにリスペクトを持って接してくれてうれしかった」と述べた。
けん制され一塁にヘッドスライディングで戻る越智康弘選手
 米遠征について、清水信英監督は「日本の子どもたちは、環境が日本とまったく違うアメリカで、野球だけではなく、言葉や生活スタイルの違いを知った。この経験を将来に生かしてもらいたい」と願った。訪米団の中谷恭典団長(ボーイズリーグ理事)は「子どもたちが、いい経験をさせてもらった」と謝意を表し、野茂さんと同クラブの協力と意志を尊重した上で、毎年の米遠征実施を希望する。選手に向けては「ベースボールの発祥国、本場アメリカで身につけたことは大きな財産になったことだろう。将来の国際舞台の場で発揮してもらえればうれしい」と話した。
野茂さんと長谷川さん
国際試合の重要性を強調

ベンチでコーチ陣と談笑する野茂さん
 日本のプロ野球を経て、多くの日本人選手が大リーグで活躍する現在。かつては1995年にデビューした野茂さんが最初で、97年に長谷川さんが後に続き、当時はこの2人だけだった。野茂さんはソウル五輪の銀メダリスト、長谷川さんは大学の日本代表に選ばれ米国遠征を経験した。アマチュアでの国際試合が刺激となり、メジャー志向を抱いたのだ。
 2人は「海外での国際経験が、今でも生きている」と口を揃え、「若いうちにこういう経験を積むのが大事」と強調する。ともにアマチュア野球のレベルアップに力を入れており、野茂さんは日本で2003年に不況下で廃部した社会人チームに属した選手の受け皿となるクラブを創設し、現在は少年対象の野球教室も開いている。一方の長谷川さんは「技術的にも一番伸びる高校生が大事」とし、オレンジ郡で年齢別(16歳〜18歳)に高校生の3チームで選手を教える上に、「コーチをコーチする」(長谷川さん)というコーチの意識改革など、レベルの高い指導を施す。
試合前のミーティングで、コーチの話を聴く長谷川さん
 野茂さんは、少年チームを率いる米遠征について、社会人や学生を育成するのと同様にプロジェクトの一環だと説明する。遠征の目的は「ドジャースで試合を見たり、外国の文化を知ったりして、若い時にいい経験をしてもらいたかった」と説き、今回のメンバーに向けては「この遠征で試合をして高校に進み、甲子園に出る選手もいて、うれしい。僕たちよりもレベルの高い選手になってもらいたい」と願った。
 長谷川さんは、野球を通した国際親善について「プレー以外でも日本とアメリカの子どもたちが一緒に食事をして話して交流することは、とてもいいこと」と大会の意義を強調する。今回の両国の選手には「日本の選手がアメリカに来て、アメリカの選手が日本に行ってプレーする時代なので、世界に目を向けて頑張ってほしい」とエールを送った。
試合前にあいさつをする長谷川さん(左)と野茂さん

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です