比嘉さんはLA市内の日本語学校「羅府上町第二学園」で75年から15年間ボランティアとして奉仕を続け、7年間にわたり理事長などを歴任。LAの日系社会における日本語教育、日本文化の普及に貢献した。また、61年に入会した北米沖縄県人会では5年間会長を務め、「カタヤビラ・ウチナーグチ(語りましょう、沖縄語)教室」の開講や「高齢者クラブ」の開設などを次々手がけた。05年には県人会功労賞、11年には「第5回世界のウチナーンチュ大会」において、「沖縄県人系社会の発展と在住国および日本国との友好親善に寄与した」として、功労賞を授与された。
また、ラジオ番組「ハイサイ・ウチナー(こんにちは沖縄)」などで11年の間パーソナリティーを無償で務め、沖縄方言や文化の紹介、若い世代への伝承に尽力した。
11年には南加県人会協議会の会長に就任。3月の東日本大震災発生時には、混乱する日系社会で旗振り役として奔走。総額18万ドルもの義援金を集めただけでなく、同震災「被災者100日追悼法要」などのさまざまな復興支援イベントを行い、日系社会の団結に大きく貢献した。
「1960年に渡米してすぐに、郷に入らば郷に従えの言葉どおり、語学の勉強を始めた。 『スクールボーイ』として家事を手伝いながら5年間過ごしたおかげで英語が話せるようになった」
続けて、千葉総領事夫妻と関係者に謝意を述べ、これまでの自身の活動を振り返った。
「渡米以来59年、いろんな日系団体に所属、さまざまな人との出会いからいろいろと学んだ。活動の場をくれた日系社会に感謝する」と述べ、「苦楽を共にしてきた生涯のサポーターであり良きアドバイザーである妻」博子さんにも感謝の気持ちを表す。息子の朝博さん、ベンさんも遠方より駆けつけ、比嘉さんの晴れの姿を目に焼き付けた。
「自分のことのように嬉しい」と喜ぶ宮崎マックさんは祝辞で、比嘉さんの「卓越した機動力」は「奥さんの支えの賜物でもある」と夫妻をたたえた。
パイオニアセンター会長の竹花晴夫さんは「比嘉さんと知り合って40年以上。いろいろな団体の理事として互いに関わってきた。比嘉さんの受章はとても嬉しいこと」と話した。
芥川義則さんは「日系社会の一員として比嘉さんの叙勲をとても誇り高く思う」と述べた。
日系のアル・ムラツチ・カリフォルニア州下院議員からは感謝状が届けられた。
式の後、参加者らと懇談した比嘉さん。「いっぺーにふぇーでーびたん!(本当にありがとうございます)」と感謝の言葉を伝えた。【麻生美重】