前日に吹いた大風で椿の葉が大量に落ちていた。スロープは緑や黄色の葉でカーペットが敷き詰められたよう。落ち葉が流れ込んだ水路には詰まりが生じ、 蓋の隙間から水が道路に勢いよく噴き出す。
 一人暮らしで高齢の親にとって庭や水路の掃除は優先順位が低い。帰省している間だけでもと竹ぼうきで掃き始めた。掃いても一向に減る様子のない落ち葉と格闘するうちにどこかのお寺の住職の言葉を思い出した。「落ち葉掃きは徒労のように思えるが、その行いの継続で得られるものが必ずある」。お寺の名も言い回しもうろ覚えだが、人の行いに「徒労」はないという趣旨だった。
 現代の社会で一見徒労に思えるものは「差別をなくす努力」かもしれない。あらゆる差別は人類の発展とともに存在する。個の排斥や身分制度、民族、文化、職業、性など差別は複雑になり、そのためそれをなくす取り組みには報われない響きがつきまとう。
 日系人活動家のユリ・コウチヤマさんは、第二次大戦中や戦後の日系人排斥を体験し、後にハーレムで公民権運動に参加。日系人補償要求、各種人権問題などへの活動を約半世紀続けた。日系に対してのみならず黒人、ヒスパニック系、モスレムなどに対し広く心を開く。
 2003年、バークレーの施設で暮らしていたユリさんを訪ねたことがある。1997年に卒中を経験し体が不自由になったユリさんは椅子に座ったきりだったが、訪問した数人の若者を温かく迎え入れてくれた。ユリさんと彼女の慕った公民権運動活動家のマルコムXは同じ5月19日生まれ。わたしも「誕生日が同じです」と告げると、ユリさんは「では一緒に祝いましょう」と声を弾ませてくれた。
 決して広くはない個室に積まれた手紙や資料、ファイルの多さから82歳の彼女が現役の活動家だということがうかがえた。壁には写真が張り巡らされており、マルコムXとの写真は一際目を引いた。
 6月1日はユリさんの命日だった。訪問時の写真を取り出し眺めた。彼女の意志を受け継ぎ社会の差別をなくす努力を続けていく思いを新たにした。【麻生美重】

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