田中さんには福岡から米国へ移り住んだ実の弟がいた。弟が里帰りするさいには顔を合わせ長く交流が続いた。世界最高齢者として田中さんのニュースが世界を駆け巡ると、南加の親戚もお祝いムードに。4月には実弟の孫ゲイリー・フナコシさんが施設を訪ね、本人に面会し長寿を祝った。
日米文化会館(JACCC)のレスリー・イトウ元館長兼CEOも自身のSNSで「世界最高齢女性は遠い親戚」と投稿。田中さんが自身の曽祖母のいとこにあたると語った。
にわかに当地の日系社会にとって身近な存在となった田中さん。1903(明治36)年4月創刊の羅府新報とは同い年という偶然も重なった。「田中さんにぜひ羅府新報を手に取ってもらいたい」と依頼すると快諾を得た。
福岡市の北東、「志賀島」へ通じる半島の中ほどにある介護施設を尋ねると、夕食準備が進められていた。テーブルについた田中さんや他の入居者らに米国の新聞社が取材に来たと伝わり、室内はやや驚いたようにざわめく。
田中さんは自身の記事が掲載された日英両語の新聞をめずらしそうに手に取ると、じっくり眺め、それから手を合わせて感謝の意を表した。
「令和」への改元記念には色紙に書をしたためた。
か細いながらもしっかりとした口調で田中さんは「遠いところからわざわざ。(長寿を祝ってくれる)みなさんに感謝です」と述べた。
【麻生美重、写真も】