「♪人は生かされ生きている・・」幸せサンバの一節である。それ何?と思う方もおられるだろう。お盆カーニバルや二世週祭のストリート音頭で踊られる中の一曲である。いつもは歌詞を気に掛けずにメロディーとテンポで踊っていたが、今年は何故か歌詞が耳に入ってきた。全く歌詞のとおり、お陰様で踊れたと思った。
 二世週祭のパレードの音頭は、振り付けた三條勘菊師を亡くしての本番とあって、社中のお弟子さんたち、他のグループ・一般参加者の気持ちの入れ方が少し違ったと思う。パレードの終了地点に三條グループの皆さんが揃って立っておられたのを目にしたときは感に堪えなかった。師の振り付けをたくさんの踊り手に伝え、それを見届けてくださった社中の皆さんに、思わず駆け寄り手をとっていた。その笑いと涙の祭りも一段落。
 義兄の一周忌法要に日本に来ている。昨年、病弱な義兄を喜ばそうとサプライズ誕生会を催した。本人の喜びようは想像以上で、命が伸びた、次の誕生日には何を計画してくれるのか楽しみだと言っていたのに、2か月後にはあっけなく逝ってしまった。本当に明日のことは分からない、今を大事に、生かされ生きていることを有り難いと思った。両親を早く亡くし、長兄を親のように思ってきた。その長兄が逝って存在の重さを改めて知らされた。
 話は戻るが、盆踊りはお盆に精霊を迎え慰めるために音頭を踊る。上手下手よりある種の高揚感がある。良寛和尚が盆踊りが好きだったという逸話は知られているが、死の間際まで盆踊りを謳っている。昔のテンポとは幸せサンバは全く違うが、根本は同じだと思う。日本語をわからない人たちは、意味を理解して踊っているのだろうか?と思わないではないが、お寺という場所での踊り、今ならYouTubeで歌詞を検索して私たちより理解しているのかもしれない。
 大勢の人が集まるお祭りは、いろいろなことを考えるきっかけになると思っている。来年はどんな祭りになって、どんな出会いがあるか楽しみでもある。年一度、音頭でだけ会う、音頭知り合いが、増えてきた。また会えるように生かされていたいものだと思う。【大石克子】

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