コンプトンに倉庫の用地を確保し、地鎮祭を執り行った当時。その後は、日本の経済成長に合わせるように発展を遂げる

 日本の物流会社としていち早くランチョ・ドミンゲスで営業を開始した中野倉庫運輸株式会社の米国支店「Nakano Warehouse and Transportation Company(米国中野)」が5月11日、開業50周年を迎えた。新型コロナウイルスの影響で50年の栄華にふさわしい記念式典を行うことができないでいるが、半世紀の事業を支えた地域と金融機関に厚い感謝を示しながら、次の50年に向かって新たな一歩を踏み出した。

米国中野の社員たち。開業から半世紀経った今も社風は守られ、日本のきめ細かいサービスを提供し、ランチョ・ドミンゲスで地域社会に愛されている

 親会社の中野倉庫運輸は1923年(大正12年)に創業し、今年で98年目を迎える物流企業。関東大震災の直前に高知出身の創業者が鈴木商店(現在の双日)を退職し、木挽町(その後の東銀座)に物流会社を構え、昭和初期に運送業に加えて倉庫業を開始した。50年代より輸出用自動車に関するマニュアル、カタログなどの保管、梱包、発送が主たる業務の一つとなり、1ドル=360円の為替制度が大きく変わると主要な顧客が印刷、梱包などの仕事を海外に移管するようになったことから、それに応える業務のために71年に現地法人を設立し、倉庫をランチョ・ドミンゲスに建設した。その様子は50年前の羅府新報でも伝えている。

 当時はランチョ・ドミンゲス周辺に物流施設はほとんどなく、港まで遠いことからその後の発展に疑問を抱く日系人の意見もあったという。だが、72年はベトナム戦争後の不況下でランチョ・ドミンゲス一帯の最大の地主であるワトソン会社が初めて借地権ではなく、所有権の土地を売却した時期でもあり、この地に定住。80年代には2回の増築をし、隣地の買収もして、日本の経済成長に合わせるように成長した。
 米国進出当初の目論見のカタログ保管業務は振るわなかったものの、日本からの家電製品、工業物関係の事業は順調に伸び、現在でも主要な業務となっている。70年代には税関指定の保税倉庫の免許を取得し、この地区指定のゼネラルオーダー倉庫として業界に貢献。80年代には法律の改正により発展した混載業者のために「Container Freight Station」をいち早く開業し、この分野を開拓した。90年代には倉庫の賃貸業に進出し、大きな成功を収めた。その後、運送事業、通関事業、FWD業務から撤退し、保管、梱包、賃貸の分野に集中して現在に至る。

コロナ禍の7月に日本から訪米した中野社長

 18日、日本から出張で米国本社を訪れていた代表取締役CEOの中野晋一氏は、「先日も港に行ったが、30隻ぐらいの船が待機させられていた」と、コロナ禍のビジネスへの影響について話す。物流へのニーズは高いにも関わらず、米国の失業保険補助政策に依りかかる人が多いために、必要な労働力が集まらない問題が物流業界でも起こっているのだという。ここには、港湾や鉄道の労働力も含まれる。また、人の移動に関しては日本への入国が「ワクチン接種の有無に関わらず一律の厳しい対処を一般人に課しているので大変だ」と述べた。

 米国中野は、50年たった今も社内の風土をあえて米国人化することなく、これからも日本人の会社の良さを特長としたサービスを続けていくとする。米国50年の軌跡を振り返り、「物流企業として長きにわたり順調に操業することができたのは、ご愛顧いただいた日系企業を始めとする多くのお客さま、当社の仕事を円滑に運営するために協力いただいた協力会社と金融機関各社、そしてあたたかく見守ってくださった地域の皆さまからの支援、指導のたまもの」と感謝する。
 米国中野は従業員約10人、2020年の売上はおよそ182万ドル。また、2年後に100周年を迎える本社の同年の売上37億8千万円、営業利益は歴代4位となる5億8千万円超で、経常利益は創業以来の最高益を記録した。【長井智子】

日系企業をひいきに多くの顧客の商品を保管する米国中野倉庫運輸の倉庫。日米の経済を影で支える「宝庫」である

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