This image has an empty alt attribute; its file name is Rafu-Essay-Title-back-550x428.png

 7月には珍しい、柔らかな小雨まじりの朝だった。ドライブウエーに投げ込まれているビニール袋入りの新聞を拾い上げると、その下はまだ白く乾いていた。雨は朝方から降ったのだろう。それでも道路や、家々の屋根は濡れてくっきりと輪郭を見せている。遠くサンゲーブル山脈の山々も白く霞んでいる。

 「こんな朝もいい。どれ、小雨の山へ出掛けてみようか」その山というのはサンゲーブル山脈の一部であるアズサキャニオンといわれる場所で、わが家から20分ほど車を走らせると山の入り口である。フリーウエーを使わずしてこの距離は有難い。

 実はこの場所に行くようになったのは、昨年のパンデミックで行動が規制されてからである。家でじっとしててもなあ。なんかワタシばっかり用が増えてる気もするし。夫婦の(いや、私の)倦怠防止策せねば。

 「ドライブするブンはいいんじゃないの。車から出なきゃいいんだし」その間、夫にはひたすら山岳地形の運転に従事していただき、私はひたすら景色を楽しもう、流れとしては、帰りに何かテイクアウトでも、となるから私はラクができる。動機が健全とも言えないが、それもなんのその、渓谷のドライブは思った以上に夫婦の精神衛生を整えてくれた。

 渓谷は一見、乾いた山や谷であるが、渓流あり、貯水湖あり、早春には大空を舞う鷹を、初夏には岩目に咲くワイルドフラワーを、冬には針葉樹に積もった雪をもまじかに見ることができる。自然とはなんと心地よいものか。何十年もこの地に住みながら「あの辺の山」ぐらいにしか考えていなかった。ナンテコッタ。子どもたちが小さいころに連れてきてやればよかった。詫びる母である。

 さてさて、山は意外にも霧はなく、湿り具合が適当であった。今までコロナの影響で臨時閉鎖されていたトレイルやキャンプ地のゲートも解放されていた。気ままにその一つに入ってみた。一方通行の車一台分の道路をそろそろ行くと、両側に茂る松や杉の木立から小さなシマリスが姿を見せる。青色の鳥(アメリカカケス)もスイッと飛び交っていた。車から降りて枯れた松葉が積み重なった地面を歩いてみる。その弾力のなんとも足の裏にしっくりくることよ。

 さてと、私はベンチに腰掛けて、昨晩届いた長いメールを読み返した。

フランスのブルターニュの田舎に住む友人T子からのメールである。彼女とは職場で知り合って40年近く。暫く疎遠になっていたが、パンデミックでお互いの状況伺いから、また連絡を取り合うようになっていた。

 T子は5月に2度目の接種を済ませ、7月に入って、近くの空港から2時間のイタリアのベネチアを始点に一週間一人旅をしたという。

 「迷路のような街を気の向くまま歩きながら、さてどっちに行こうかな。思いもよらぬ場所に行く羽目に。その時、その時の決断が『思えば遠くへ来たもんだ』の結果となり、これってまるで人生ゲームみたい、ここの町歩きは」。旅にはマリさんのメールも連れて行った、と書いてあった。ありがとネ。

 T子には夫と成人した二人の娘がいる。彼女は昔っから一人で行動する人だった。変わってないなあ、と微笑みながらもなぜかシミジミする私だった。

 私は家から2時間ばかり離れた松ぼっくりの転がる山の中にT子のメールを連れてきた。

 パンデミックがあって、今がある。そんなことを思った。

Language of this post

Connect with translations

Translation Priority edit terms

Translate this Document

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。