今月初めの選挙でボストン、シンシナティにアジア系市長が誕生し、「アジア系にとって画期的な出来事であり、政治的な前進」と報道された。
 アジア系市長はシアトルでも誕生した。第57代市長に選ばれたのは、ブルース・ハレル氏。アフリカ系アメリカ人としては2人目、アジア系アメリカ人としては初のシアトル市長だ。
 1958年シアトル生まれのブルースは、市内の高校を首席で卒業しフットボール奨学金で地元ワシントン大学に進学。卒業後は同大学の法科大学院で学んで、弁護士として企業に勤務した。その後2007年に選挙に出馬し、3期12年間に渡るシアトル市議会議員在任中には市議会議長も務めた。
 華やかな経歴を持つブルース・ハレル氏は、日系三世でもある。
 父方の祖父母はルイジアナ州ニューオリンズからシアトルに移住。祖父は大工、祖母は看護師として働いた。3人の息子の一人クレイトンが、ブルースの父だ。
 一方、母方の祖父母は1900年代初頭のシアトルに日本からやって来た。夫婦で小さな雑貨屋を営み6人の子供をもうけたが、夫の病死で祖母は再婚。5人の子供が生まれた。日本人町で花屋を営んでいた夫婦が末娘につけた名前がローズ。ブルースの母となる人だ。戦争中、一家はアイダホ州のミニドカ収容所で過ごし、戦後シアトルに戻る。
 市内の高校でクレイトンとローズは出会い、卒業2年後に結婚すると息子2人が生まれた。次男がブルースだ。当時アフリカ系と日系という2人の結婚は好奇の目で見られたが、自分たち兄弟は両親の深い愛情を受けて育ったと語っている。
 近年、ブラック・ライブズ・マター運動が過激化して警察署占拠が起きたり、アジア系へのヘイトクライムも見られるシアトルでは、治安が選挙の争点の一つとなった。対立候補が警察予算の大幅削減を主張したのに対し、ハレル氏は反対を表明。革新派と保守派の対決と化した選挙でシアトル市民は後者を選択し、ハレル市長誕生となった。
 かつて新天地を求めて日本とルイジアナから移住してきた二組のカップルは、孫が市長になる日がくるとは想像もしなかったに違いない。感謝祭を前に浮かぶ思いだ。【楠瀬明子】

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