以前、われわれの体はDNA(遺伝子)の乗り物だと解説する本を読んだことがある。地球に生命体ができてから43億年、原始の細胞は核酸で、後にその周りにタンパク質で覆われた殻を作った。これが細胞で、ウイルスにはその殻がなく、細胞の中に自由に出入りできるほどの大きさだという。コロナウイルスもその一種だ。ウイルスは細胞の中に入ったり出たりして共生していたのではないか。ウイルスは数限りない種類があるが、今までの長い歴史を通じて、生命体にとって必要な機能も与えたそうだ。
 われわれ人間の体もDNAにさまざまな特徴を取り入れ続けながら、生存とその存続に適さないものは死滅するという過程を繰り返しながら進化を遂げてきた。いわば共存共栄の関係でもある。DNAという遺伝子には43億年間に積み上げた生命維持・発展の歴史が刻まれているともいえよう。
 人間の体は何百兆もの細胞から成り立っており、それらは有機的に連携し合いながら一定の調和を保ち、体を作り動かしている。人間を特徴付けているのは脳の発達、だが脳も生命体の根源ではなくその一部に過ぎない。すると脳の仕組みを動かす人間の考えや意思が「生きる」ことなのか。
 この長い歴史で、今までに生物絶滅の危機が5回もこの地球を襲い、誕生した生物の99%が絶滅しているというから驚きだ。
 人は誰でも生まれた時から「生・病・老・死」の苦悩を背負っている。この四つの苦を背負って生きながらも常に現状を認識して受け入れ、そこからどうすればよりよくなれるか、を模索し工夫するのが人間ではないか。やがて個体が寿命を終え死すれば土に還るのみ。しかし、子孫にはDNAの継承という形で長い目で見た生命の旅は続いてゆく。
 「生きる」ということは、自分の脳の機能を使って考えることである。「死ぬ」とは、体を作り上げている何百兆もの細胞システムがうまく働かなくなって機能停止することだ。すると今与えられたこの現状で工夫をし、常により良い状態を模索して思考するのが生きるということなのか。自粛生活はこんなことを考えさせる。【若尾龍彦】

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