JACLロサンゼルス・ダウンタウン支部と南加日系婦人会が選出するウイメン・オブ・ザ・イヤーを受賞する粟屋陽子さん(写真上左)と西元美代子さん (同右)

 日系市民協会(JACL)ロサンゼルス・ダウンタウン支部と南加日系婦人会は、2022年度の「ウイメン・オブ・ザ・イヤー」賞受賞者として日系コミュニティーで顕著な活躍をする2人を選出した。受賞者は、粟屋陽子さんと西元美代子さん。
 粟屋さんと西元さんの2人は、モンテベロのクワイエット・キャノンで5月1日(日)午後12時半から開かれる表彰祝賀昼さん会に臨む。 表彰昼さん会の会費は大人45ドル、10歳以下の子ども25ドル。なお、当日は受賞者へのお祝いのプレゼントは控えるように呼び掛けている。
 問い合わせは、夜間に英語でエミ・タンバラさんまで電話323・722・3897。日本語と英語は、ロドニー・ナカダさん電話213・628・1800とジョイス・チンさん電話818・317・4541。

粟屋陽子さん
 粟屋陽子さんは1941年東京で生まれた。13歳で箏を、18歳で地歌三絃を習い始めた。64年に東京の生田流宮城道雄宗家から教師免状を授与された。65年に結婚のために渡米、ロサンゼルス地域に暮らし、同じ流派の工藤かずゑ師に師事した。75年に独立し、「粟屋会」を設立。94年に箏と地歌三味線の邦楽を専門とするカリフォルニア州非営利法人「粟屋陽子箏曲学院」を設立した。
 粟屋さんは自らの芸を研さんし、経験を生かしながら後進の育成に努めている。
 設立当初は小規模だった粟屋会だが会員の努力と家族の支えにより、約50年の活動を経て発展し今日の姿となった。粟屋さんと弟子たちは日系米国人コミュニティーと米国社会で邦楽の普及に努め多大な文化的貢献を果たし、日米間の懸け橋となり両国の友好親善に寄与している。
 第1回コンサートを76年にガーデナで開催した。その後は2、3年ごとに、これまでに約20回の演奏会を催した。南加での演奏活動は、トーレンス文化祭、旧敬老と敬愛ホーム、加州立大ロングビーチ校内の日本庭園、ドロシー・チャンドラー・パビリオン、アラタニ劇場、アームストロング劇場、ジャパン・エキスポ、ロサンゼルス郡美術館、UCLA、USC、ゲッティーセンター、各県人会、日本庭園での催し、サンフランシスコ音楽院。他州では、コロラドのマッキー・オーディトリアム、コロラド大学ボルダー校、フィラデルフィアのラファイエットカレッジ、マサチューセッツ州のジェイコブズピロー、アリゾナ州のフェニックス日本庭園。
 粟屋会は94年、トーレンスのアームストロング劇場で「箏で奏でるバロック音楽」を開催した。この特別なコンサートは、バロックやクラッシック音楽を箏で演奏することを援助するとともに、日米間の文化交流が深まることを奨励する日本の「E・ナカミチ財団」から助成金を受け実現した。
 粟屋さんははラジオ、テレビ、映画のサウンドトラックでも演奏し、ウォルトディズニー・ワールドでスタジオ収録を行った。また、粟屋会は、多くのチャリティーパフォーマンスを行ってきた。
 ロサンゼルスの旧敬老シニアヘルスケアやサウスベイの敬愛ホーム、マーシーオーディトリウムと沖縄で開いた「竹中真チャリティー・ジャズコンサート」、敬愛(旧サウスベイ敬老)での毎年恒例の誕生会(94〜2019年)、トーレンスでの福島の子どもたちのためのオカリナと箏チャリティーコンサート(13年)、ロングビーチのアール・バーンズ・ミラー日本庭園での津波災害救援プロジェクト(11年)、トーレンスでの熊本地震チャリティー粟屋会コンサート(17年)。
 粟屋さんと粟屋会は、トーレンス文化祭(1986〜2019年)や二世週祭、アール・バーンズ・ミラー日本庭園でのイベントなどコミュニティーイベントで定期的に演奏してきた。特別イベントでは、南加日系婦人会創立110周年記念祝賀会、日系パイオニアセンター設立50周年記念祝賀会が挙げられる。
 粟屋会は、南加日商が主催した叙勲祝賀会(97年・ハイアット・リージェンシー・ロサンゼルス、99年・クワイエットキャノン)、小東京での元日祝賀イベントに参加した。
 粟屋さんは日本総領事館が主催する多くのイベントに協力し、日本から来た歌舞伎グループと共演、総領事公邸での天皇誕生日レセプション、ハンティントン・ライブラリーでの「ジャパントゥデー」で演奏した。
 粟屋さんと粟屋会は多くの団体に認められ、南加日商、南加県人会協議会、オレンジ郡日系協会、カリフォルニア州議会、トーレンス市、ハンティントンビーチ市から表彰状や感謝状を授与されている。粟屋さんはまた、箏曲工藤會(66〜83年)や箏ストリング・ソサエティー(84〜97年)、オレンジ郡日系協会(80〜16年)、日本芸術集団、南加日系婦人会など、多くの音楽と文化関連団体に携わってきた。


西元美代子さん
 西元美代子さんは、福岡県で生まれ、佐賀県嬉野市で育った。両親が他界後、1970年に姉の呼び寄せで米国に移住した。
 移住後6カ月で運転免許証を取得し、サンタアナにあった「ボイット・ラバー・カンパニー」に就職、社内では唯一の日本人だったため、英語漬けの毎日だったと言う。2年間働いた後に結婚して子育てに専念するために退職した。子宝に恵まれ、一男(敦さん)、三女(和美さん、真由美さん、めぐ美さん)をもうけた後の4年間は、夫和彦さんが経営する庭園業を手伝った。
 縁あって77年からシールビーチの「U.S. Naval Weapons Station K2 Division」に就職、ここでも日本人はただ一人だった。約2年間勤め退職し、その後は、軽食とコーヒーだけのレストランをオープンし約3年間、朝と昼に限り営業した。子どもの小学校入学と共にクラスマザーとしてボランティアを始め英語力を磨いた。
 オレンジ郡日系協会が86年に設立されると同時に会員となり、さまざまな行事に参加した。敬老感謝の集い、新年親睦会、ゴルフ大会、文化祭、永住権更新の手続きなどを手伝った。これら数々の奉仕、手伝いがきっかけで、ボランティア活動に興味を持ち、87年にリトル東京サービスセンターの坂本靖子さんから3カ月間の訓練を受けた。コースが終了すると同時に、オレンジ郡日系協会で、毎週火曜日にオフィスボランティアとして奉仕をした。
 南加日系商工会議所では94年からの2年間、オレンジ郡から小東京まで運転し、週3回ボランティアとして務めた。歳末助け合い運動は、始まった最初の年から運動員として、街頭に立って、協力を呼び掛けた。
 ゴルフ大会の手伝いは、88年からオレンジ郡日系協会、90年から南加日商、2004年から南加県人会協議会に携わり、他にも全米日系博物館(最初の2年間)など諸団体の大会でボランテイアとして手伝ってきた。
 各分野で活躍する豊富な経歴を持つ人々との出会いは財産となり、貴重な経験を積み、ボランティア精神の意義を見出した。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領がオレンジ郡のマイル・スクエア公園を訪問した際には、親善大使を務めた娘と共に出迎えた。
 熱心な奉仕活動が認められ、オレンジ郡日系協会から93年と2012年に地域功労賞を受賞、オレンジ郡日系評議会からは同様の賞を12年と14年に、14年には二世週ファンデーションから日系パイオニア賞を受賞、18年には南加日商から日系コミュニティースピリット賞が授与された。
 渡米後39年たった09年に帰化し、米国市民になったことを誇りとする。現在は、夫の仕事を手伝いながら家族との時間を大切にしている。12歳から24歳までの孫7人に囲まれる大家族を持ち、やさしいお婆ちゃんは孫を送り迎えする日々を14年間やり通し2年前に無事「任務遂行」した。
 123年の歴史を持つ南加で最古の鹿児島県人会では12年に、史上初の女性会長に就任し4年間務めた。同県人会では、会計(99〜01年)、同婦人会会長(02〜05年)、幹事(07〜11年)。他では、南カリフォルニア奄美会理事、南加佐賀県人会理事を務めた。現在は、休会中の南加昭和会で会長、南加県人会協議会とオレンジ郡日系協会でそれぞれ副会長を務めるなど、要職を歴任し南加の日系社会発展のために献身している。

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