まさか!のロシア軍によるウクライナ侵攻開始から2カ月余り経つ。無惨にも破壊された街、罪のない多数の市民犠牲者、隣国への避難者に心が痛む。
樺太(サハリン)からの引揚者である母親の話を思い出した。子供、女性、老人たちを先に避難させ、男たちが残った。歴史を辿ると、日本は日露戦争で勝利。ロシアとの関係も良好であったアメリカの仲介で、1905年(明治38年)ポーツマス条約を締結。セオドア・ルーズベルト大統領はこの功績でノーベル平和賞受賞。日露戦争の資金を提供してくれたのもアメリカ(イギリスも)だ。南樺太が日本領土に譲渡され、帝政ロシアの敗北が、後のロシア革命勃発のきっかけになったことは否定できない。4才〜14才まで樺太で育った母の戦争前の生活は、大自然と街の活気さで、とても楽しかったという。
ポツダム宣言を発した(7月26日)時点ではソ連は署名してなく、日本に対して宣戦布告もまだしていない。5年間有効の日ソ中立条約を締結しており、日本は油断していた。米英ソのヤルタ会談での密約(ソ連の条約破棄)を知る由もなかった。8月6日広島原爆投下の数日後の8月8日にソ連は宣戦布告した。
母の回顧では、空上の爆撃機を見た時、ロシア軍がアメリカと戦うために助けに来てくれたと思ったそうだ。母の一家は、本土には直ぐに戻らず、父親が技術者(歯医者)だったためユジノサハリンスク(豊原)の国立病院で雇用され、占領後戦後2年間ロシア人たちとも過ごした。隣人のバーブシカ(おばあさん)は優しくて頻繁に食べ物を分けてくれたそうだ。1947年(昭和22年)に全財産を捨てて引き揚げてきた。
法的根拠のないロシアによる占拠が続く北方領土問題。日本は北海道の開拓を優先し、樺太千島交換条約(1875年/明治8年)を締結し、樺太は手放したので、北方四島と比べ、歴史的説得は多少異なる見解もある。樺太が返還されるのは夢の夢だろう。
領土獲得に戦争を繰り返す愚かな人間たちの野心と欲望。一刻も早く戦争終結を望むが、大国のリーダーたちの対話による決断しかなさそうだが……。(長土居政史)